パラ・スポーツの研究で見えてくること

森永

パラ・スポーツの研究が進むことによって、いわゆるオリンピック側の競技の方に影響や、還元されることはありますか?

河合

まだ少ないですけど、僕はそれが来ると思います。

森永

例えばどんなことで起きそうだと思いますか?

河合

例えば目が見えない状態で、走る・歩く・泳ぐという作業をしますよね。そうするとどうなりますか?

森永

目が見えていることに慣れちゃっている場合は、フラフラしちゃいそうですね。

河合

フラフラしたり曲がったりする可能性が高いですよね。でも曲がるってことは、何で曲がるんですかね? 

森永

動きが歪んでいるからですかねえ……。

河合

そうですよね。ということは目を瞑って真っ直ぐ走れたり歩けるようにするトレーニングは、目を使って見ていることが、本当は曲がってしまうのを無意識に補正しながら走っていることに気づくきっかけになりますよね。

森永

確かに!むしろ目を瞑ってまっすぐ進めない人は、色んな筋肉にバランス悪く負担かけながら歩いたり泳いだりしているってことに……!

河合

そうなってしまっている可能性がある。だからそういう気づきを得たりすることは、例えば一例としてはありえるんじゃないかとか。

森永

その筋肉のバランス良い動きを身につけたら超速くなりそうな気がしますね。肩こりもしにくくなるんじゃないかな(笑)。

もう一つ質問なのですが、車椅子や義足など機具を使う競技は、機具の性能が上がることによって記録がどんどん出始めたりしてますよね。陸上なんかを特にそれを感じます。

河合

同時にそれは経済格差とその競技のパフォーマンス格差が、非常に相関関係もあるので課題もあります。

森永

格差是正のために車椅子を統一したりなどの取り組みは出てきたりするんですか? 例えば球技だと国際基準の、統一球があったりするように。

河合

いくつかの種類がある中から、大会ごとに決めるように変わってきているのはありますね。柔道でいったら畳の色。卓球台も含めて変わってきてるので、常に切り替わってきたし、柔道着だってレギュレーションが変わってきて今に至るわけですからね。

水泳でもっと考える必要があることとは?

森永

水泳に限ったときに、健常者の人と障がい者の人と一緒にやるためにルール変えてみたりとか、もっと面白いんじゃないかというアイデアはありますか?

河合

運動会的にするレクリエーションとしていろんな動きもあると考えられると思っています。それこそ世界ゆるスポーツ協会と一緒に我々が連携して、プールで出来るゆるスポーツとして「ゆるプル」という競技をずっと開発してやっていたりするんですよね。

そういうのはそういう形であると思うんですけど、ただやっぱりそもそも障がいのあるスイマーたちが試合に出る経験そのものが少ないわけです。別途小中学生の頃から、小学校中学校の障がいのある子たちのための大会をやるのは、費用面からいって非効率的なんですね。

そういう意味で障がいのある子たちが、一般の大会に出れるようになることは、すごく諸外国が普通にやっていることだし、真っ当なやり方だと思いますね。ただ残念ながら片手の選手が例えばバタフライや平泳ぎを泳ぐと、ルールブックには平泳ぎやバタフライは両手を同時にタッチしなければならないってルールなんですよね。そうするとルール上は方腕の選手が片腕でタッチしたら失格を取るわけわけですよ。

でもそれは明らかに僕からすると差別だと思っていて、ルールブックには書いてあるけど、出来ないことをさせるって言うことは、そもそもおかしいことだとで思うわけです。でもスポーツ界はそういう発想ではなくて、ルールブックに書いてあることこそが正義だと思うため、もっと上位概念とかそういうことを認識しきれない時代錯誤感があるんですよね。

森永

その時代錯誤感はこと日本の話なんですか? 

河合

日本もそれは強いかも知れないですけど、世界でみてもそういう傾向は0ではない。トラディショナルな競技ほどそうです。

森永

陸上とか水泳みたいな競技ですよね。

河合

そうです。

森永

そうするとオリンピックの水泳のルールと、パラリンピックの水泳のルールは、現状は違うもので運用されているんですか?

河合

パラリンピック水泳のルールは、オリンピックでは国際水泳連盟(FINA)のルールの例外規定を作っているわけなんですよ。だから先ほど言ったように、出来ないことをさせるのはおかしいから、この人は片手の選手だと認定しているんだから、片手のタッチでも違反じゃないよねっていうそういうルールなんです。

森永

個別認定しているんですか?

河合

そうです。コードオブエクセプションを示して、それに基づいてジャッジすれば問題ないと言ってるだけなんですよ。

森永

ちなみにそんな環境だと、通常のルールだと失格扱いになっちゃうから、じゃあ練習するのは背泳ぎかクロールだけにしておこうみたいになりませんか?それとも案外気にせずバタフライや平泳ぎもやろうとなるんでしょうか?

河合

失格にされて自分は悪くもないですからね。このルールで気持ちよく続けて泳げます? それが小学生で。

森永

私なら軽く心折れますね(苦笑)。

河合

大人は平気でルールだから仕方ないって言うんですよ。僕は自分の子どもがその扱いをされてルールだから仕方ないと言うんですかと言いたいんですけど。

森永

そういう問題を身近で目にしたことがないから考えたことがなかったですね。他にも同様のことはあるんですか?

河合

僕は水泳の例ですけど、あるんじゃないかなと思います。だからもっと地域やそういうところでそういう事例を知っていく。それがあったときはやっぱり地域のルールでは問題なくていいとか、そういう柔軟さも広まっていったらいいのになと思います。

スポーツ嫌いの原因で考えること2

河合

球数制限みたいな問題など高校野球もいろんな議論が出てきているとはいえ、本当にこれだけ商業化してきているなかで、高校野球はどうなのかって是非論をやるのは大変だと思います。

でも100歩譲って小学生の日本一を決める意味ってありますか? 中学生やスポーツでそうやってヒエラルキーを作ることが、スポーツが好きな人を作ってることに繋がるんですかね。

国の政策でスポーツの実施率を上げていこうといったとき、もう一つ大きな課題が中学校に入った瞬間、女子が体育やスポーツ系の部活動をやらなくなることも大きなギャップなんですよね。

森永

女子が!それは何でなんですか?

河合

スポーツが嫌になっちゃってるんでしょ。

森永

体育会系の部活の雰囲気が「やな感じ」とかもありそうですよね。

河合

ですかね。そこまでは分からないですけど、そういう話を聞いたときに、それはどうなんでだと疑問に感じたわけです。意外にみんな知らないんですけど、アメリカで全米ナンバーワンの小学生を決めるスポーツの試合なんて無いわけですよ。

森永

へー!全米大会が登場するのは大学やハイスクールぐらいからですか?

河合

そうですね。だって日本でも小学生だったときに日本一だった子が、じゃあ本当に世界でナンバーワンになったんですか? なる子もいるかも知れない。でももっと多くの小学生日本一はいたはずじゃないですか。でもそんなに世界一にはなってないですよね。

森永

まさに先日、「小学生ナンバーワン」と当時呼び声が高かった選手の今、の記事を読んだんですよ。注目されていたのに、成長過程で上手く投げられなくなった。いわゆる有名高校にも進めず、地元の高校に行ってそれなりに活躍はし、今も野球を楽しくしてるよみたいな記事をずっとその子を追いかけていた人が書いていました。

河合

でもね、それはまだ幸せな方もしれないけど、僕からするとその骨格が変わってくるほど投げさせていたんだったんじゃないのって思ったりします。その責任はそのころの指導者は誰も負わないし、結局その子だけがそのケガの責任を負って生きていくわけじゃないですか。

もう本当に大人たちの無責任極まりないスポーツ指導の現場、そして中学校と高校の学校の名前を売るがための広告塔として扱われている生徒たち。やっぱり教育として考えたり、それをもっともっと真面目に捉えるべきなんじゃないかなと思うんですよね。

森永

部活動や高校スポーツと言ってるわりに、教育と全然結びついていないですね。スポーツの楽しさを知ってもらう小中学生時代を、むしろ大人がダメにしている状況が本当に教育なのかということですね。

河合

部活動って教育課程外の活動なのでと最後は逃げるんですよ。

森永

なるほど(苦笑)。

河合

学習指導要領に規定されていないものというか。

森永

小学校でも中学校でも一位を決めたがるのは、それは商業主義っぽくなっているからなんですかね。

河合

そういうこともあるんじゃないですか。でもそれよって何が起こっているかというと、トーナメント戦が横行することによって、負けたら終わり、それに対する緊張感やそういうことに追い込まれていくわけじゃないですか。

負けたチームは試合数が少なくて、勝ったチームだけが試合が増える仕組みになっている。一度も失敗が許されない戦いを強いられていく。そこにドラマが生まれるって考え方もありますけど、そのドラマを生むためにその選手達の色んなプレイをする機会が少なくなっていって、全体としてそのスポーツを楽しむ人が減ることはどうなのってあるじゃないですか。

そういう意味で地域ごとのリーグで同じレベルのチームをいくつかのグループにしながら、まずやっていくような考え方もあるわけじゃないですか。そうすればどのチームも同じだけの試合数ができるようになり、その中で色んな経験をしていくこともできるわけですよね。そういう発想がないんですよね。少しずつ変わりつつある競技もあるでしょうけどまだまだですよね。

森永

いまおっしゃられたことを考えてみると、子どもの大会って常に失敗を許されないものすごい緊張感のあるものばっかりですね。

河合

ただそっちのほうがこちらもワクワクするってこともあるじゃないですか。だから僕も全部を否定しているわけじゃないんですけど、それが成長段階の小中学生の段階にマストなのかって話なんです。

森永

そうですよね……もしかしたらもうスポーツ辛いって辞めちゃうかも知れないですもんね。

さきほどランニングやウォーキングが流行っているよねという話がありましたが、小中高生の頃って割と長距離走嫌いな人多かった印象があるんです。先生が体育で「今日は持久走」って言ったらブーイングがすごかった(笑)。ところがそのブーイングをしていた同級生が、マラソン大会に出ようとしているわけです。私は心臓悪いからマラソン出られないんだけど、みんな嫌いだったでしょどうしたの何があったの、って不思議ですよ。聞いてみれば、学校の授業は義務・強制で辛かったし、順位付けがみんなと比較されているようで嫌だったと。でも今は好きに走って自分の中での上がった下がったみたいなことを楽しめばいいっていうことを知って、ランニングやマラソンが楽しくなったみたいと言ってたんです。

体育の授業のあり方が、スポーツの楽しみを減らしちゃう要因を作っちゃっているんだなと感じました。

河合

そうですね。そう思います。

森永

さっきゆるスポーツの話も出ましたが、ああいう取り組みが教育の現場に入っていったら面白そうだな、楽しそうだなって純粋に考えてしまうんです。でも「いやあれはあれで別で特殊な人たちのやってることだから」と教育の場ではなってしまうんでしょうか、それともオリンピックやパラリンピックを経て意識が変わっていったりするんでしょうか。

河合

どうでしょうね。詳しくは分からないですが、先生たちは自分の知らないことを何かすることに対して、すごく抵抗感があるんですかね。そのよく分からないから、知らないから教えられないという言い訳は、僕はやっぱり教育のプロとして失格だと思っています。