風に吹かれることが好きだった

自身はどこかにアホなことはないかな、オモロイことは転がってないかってことが自分の基本欲求としてあるみたいで、自分はそういったものに出会ったり触れたり見たりしていることが出来たら、喜ぶし楽しいとか嬉しくなる。そこの欲求が強いとそういったものが向こうからやってくる。ありがとうって言いながらね(笑)そんなケースが多い気がします。

だから無闇に宝物探しに行くわけではないから、やたらめったら宝物探しの穴を掘りまくっているかと言うとそうじゃない。もちろんそれなりにジッとしているわけではないけど、みんなが思っているほど無茶苦茶アクティブでもないかな。

でもここを掘ったら何か出てきそうなことを感じるときはあるよね。そういうときは思いっきり掘るやん。周りはまた掘ってる、また掘ってると言ってくるけど、こっちが掘る前に探している瞬間って人は見てないよね。周りはのべつ幕なしに掘っているように見えるみたいやけど、意外とそのあいだは余白ではないけど、ぼやーっとしていたりすることも多いよ。

最近だけじゃなくてずっと思っていることやけど、風にあたる感じってあるやん。丘の上なんかで風に吹かれるってことあるやん。そういうときって服は着てるけど、ものすごく気持ちが良いんだよね。風に吹かれてものすごく気持ちが良いのは、別にど田舎の山に行かないと出来ない体験でもないし、どこにでも風を感じれることは出来るよね。

でもみんな風を感じることが出来る余裕は都会では無さそうに思うから、わざわざ風を感じたいがために田舎でキャンプしたりするわけで。別にそれは悪くないけど、いやいや全然都会でも出来ることやと思うんだよね。僕は風を感じるほんの10秒くらいが堪らないんだよね。ずっと持論としてそれを思ってるんやけど、あんまりみんなでご飯を食べに行ったりするときに、全然風に吹かれたら気持ちいいですよねって話にならない。みんな絶対あると思うんやけどね。こんな風に吹かれることが好きなんて話をするのは初めて。

風に吹かれるのは言葉にならない感覚でも何でもなくて、当たり前にある感覚やん。強すぎず弱すぎずなええ風ってあるやんか。ちょうどいい季節とか、夏場とかでもちょっと涼しめの風が入ってきたりするときのあの感じは堪らんねんけどなぁ。もしかしたら最高の風が吹かれる場所を探すのが、宝物探しかも知れないし。(笑)

だから住む場所でも、それこそリノベーションしたら、入り口のエントランスに入ったところでええ風が吹くような間取りになってると、歩いてると横から風をうまく感じることが出来るような部屋が意外といいんじゃないかな。だからいい風が来てない場合は無理くりにでもいい風を起こすようなリノベーションをお願いしたいなって思うね。

要はオシャレとかもちろん空間の見た目で住みたくなることもあるかも知れないけど、新しいカタチのリノベーションがあるとしたら、風にこだわる家とかどうだろうね。

ほとんどの人は余白を作らないとダメやと思うけど、みんな余白を作る意味合いや重要性を分かっていれば、それを意識的に作ってはると思う。僕の場合で言えば今や余白が仕事の中心みたいな感じになってるけどね。

僕はテレビ番組の演出を二十数年やってきたし、その世界は視聴率という成果が週単位で必ず出てくるから、毎週毎週のルーティンが仕事のなかにあった。もちろん僕らは視聴率を上げたり、視聴率の高いポジションで安定的に安心したコンテンツを供給するのがビジネス的に良いんだろうけど、僕らはそれ以上に先進して良いものを届け、ずっと楽しんでもらえるコンテンツを作っていた。

ずっと楽しめるものをやっているか平坦にやっているだけじゃなく、例えばダウンタウンDXだと同じようなコーナーに見えるかも知れないけど、毎回の味付けがほんのり変えたりしながら、いつまでも飽きないものを作る。逆に言えばそもそも視聴者は飽きてるけど見れてしまうような番組づくりをやってきた。

毎週の結果を背負いながらやっていたから、視聴率が奮わなくて番組が一週間の命になるかもとか、来週何かが起きたら番組が終わるかも知れないという想いで番組作りはやってました。他方いま僕のやっていることで言えば、いつまでに何かコンテンツを生み出すってことではなく、強いていえば宝物探しをしているようなところがある。そんな宝探しのようなこの余白の部分を大切にしていきながら、仕事で何を見つけることが出来るかなとさがしています。

自分が番組作りをしているとき、余白が無かったのか宝物探しをしていなかったのかと言えば、実は延々と物心がついたところから、僕にしか見つけられない宝物があるはずやと思っていたし、さらにそれを未だに探しているところかも知れないと思ってます。

仕事は仕事でやることがあるし、もちろん事業を立ち上げたり番組を立ち上げたりすることはあって、それは成果を問われるんだけど、でもそれは探している宝物じゃないかも知れないよね。探したい宝物って一生見つからないほうがいいかも知れない。もしこれが宝物や!って見つかったら、そこから不幸が始まるかも知れないし、僕自身は今も見つからない宝物を延々探し続けている。いつの歳になっても「宝物はあるはずなんや!」と言いたい。

言い換えれば満足をしてしまった時点で、人生の意味を知ることになり、結果的に生きている意味や価値が無くなるんだとしたら、人って不安やから改めて見つからない宝物を探すことによって、今やっていることが不安だけど楽しい状態でいれると思う。これが宝ものだと見つけたら楽になるとは思うけど、本当は宝物ではないかりそめのものを、人生における宝物だと言い切ってしまうことが、果たして本当に良いのだろうかと思うことも最近はよくある。

だからそういった意味では自分が作っていた番組も後進に譲り、後輩たちも頑張ってくれているところだと、やっぱりダウンタウンDXも僕には全く宝物ではないし、もちろん読売テレビの宝物ってこと以上に、見てくれるみんなの宝物だって気がしますね。だから余白や生活もスパイスであると考える捉え方だったり、価値そのものをちょっと変えてみる視点はすごく大切だと思うよね。

たぶんそういう意味でみんなそれぞれの生き方は、自分の指標になる旗の立て方なんで、もちろん個々にいろいろあると思うけど、僕の場合は例えば会社入って番組作れたらと思って番組を作りはじめ、ずっとそれをやっていた。ただ番組制作をするのが天職なのかと常に疑問を持っていて、何かまだ他に天職があるんじゃないか。まだ延々と何か他に自分がやれることがあるのかもと思っているのが、今も続いている感じ。

みんな人それぞれあると思うけど、専門的で特別なスキルを身に付けて、そのエキスパートになっていくような生き方は、本当に誰にも真似出来ない技術を持ったり表現したりするけど、スキルを持つことで、その人の個性を表出させるすごい理由にもなっていると思う。でも自分の場合はスキルを突き詰めていく以上に拡げていくというか、たまたま読売テレビに就職したから、こういう仕事をしていたんであって、もっと専門外の全然違うフィールドでも出来ることあるんじゃないかと考えるわけ。

もともと大学時代はずっと不動産業に就職したいと思って就職活動をしていた。その理由は何かと言えば、いわゆる山間の宅地造成って、山を切って斜面に家を建てていくんやけど、家が決まりきった四角い整形地じゃなくて、不整形で森と自然と一緒に住まうことが有機的に融合しているそういう街を開発したいです!みたいなことを面接なんかでは言ってました。

最終的に不動産業界に就職したらそういうことが出来たかどうかは分からないけど、例えば住まい方で言えば、真四角がダメなわけじゃなくて、四角って決められた場所でそのレギュレーションの中でどのように自分が個性を発揮出来るように考える住まい方もあると思うし、全く形が決まっていないこの場所を、どのように自分がその場所と向き合い空間を作っていくかって住まい方もあると思う。そういう意味ではどっちもアリなんだよね。

テレビでいうと番組には進行のレギュレーションがあって、何時から始まって何時に終わるって中で、そこでの個性の発揮の仕方もあると思う。大本は決まりきっているものも、形の決まりきっていないものも、人間ってartっていわれる人工の存在だから、よりnatureに向き合えたらいいって感覚はあるかな。だからすごく思うのは別に不動産のセールスや仕組みが好きというよりも、人がどの場所に立ち、どの場所で何を選択をしているのかってことに興味がありますね。