例えば全くジャンルは違いますが、イチローさんは毎年バッティングフォームを試行錯誤していました。型が決まれば変わらないこともある一方で、ブルーナ氏はその辺りのデザインや作風の試行錯誤はどうだったんでしょうか?

試行錯誤していたと思います。ブルーナさんがたぶんいろんなトライアルをしているんじゃないかと思うのは、ミッフィー以外のいくつか作品に例外があるんです。例えば「クリスマスってなあに」という聖書の中の話を元にしたクリスマスの絵本があるんですが、それなんかはいわゆるブルーナ・カラーと違う色を使っているわけです。だから、ブルーナ・カラーが生まれて以降もいろんなことをトライアルしてたんじゃないかな。

いろんな試行錯誤もあるなかで、ブルーナさんの作品は見ただけで彼の作品だと分かることがすごいと思います。

やっぱり彼の作品の特徴というのは、キャラクターだったり背景だったり、どっかに特色として残している部分がありますよね。特にブルーナさんの作品で描かれている顔は、あの目と口だけなのに男の子、女の絵なんかでも分かるもんね。

そもそも論になりますが、なぜミッフィーというキャラクターは「うさぎ」として誕生したのでしょうか? ミッフィーの他にもいろんな絵本を作っていたのでしょうか?

ブルーナさんはもちろんミッフィーの絵本以外もいっぱい描いています。生涯に120タイトル以上を描いているうち、ミッフィーのタイトルは全体の4 分の1くらいになります。だから、うさぎだけを描いているわけじゃないんですよね。

彼がインタビューの中で言っているミッフィーが生まれた理由は、オランダで生活している彼らの日常生活の中では、庭にうさぎが出て来るんだそうです。ブルーナさんの長男がちょうどミッフィーが作品として出版される直前の1954年に生まれてるんですけど、息子の小さい頃には、夜な夜なうさぎの話を聞かせたそうです。そういうところの部分をベースに、作品としてうさぎの話を絵本にしてみたいとなりミッフィーは誕生しました。だから自分の家族とのコミュニケーションの中でうさぎという題材が生まれたんですね。

もっと他の作品も描いているという意味でいくと、作品のシリーズではミッフィーが一番多いタイトルになります。あとは「くまのボリス」シリーズが5〜6タイトルとか、「いぬのくんくん」のタイトルが5タイトル以外では、人が出てくるようなものもかなりあります。それ以外にも数字を学ぶもの、ABC を学ぶだったり動物ばかりを並べるような作品など、知育系の作品もあります。

そんな作品群の中で不思議なことだと思うのは、世界的に見ると必ずしもミッフィー推しではなかったわけです。でもなぜか結果的には世界的にもミッフィーに人気が集中するんです。それについてはブルーナさん自身も「これは不思議だな」と言っています。だからブルーナさんも作品はミッフィーだけとは思っていなかっただろうね。

もちろんミッフィーはブルーナさんを語る上で代表的なキャラクターですが、黒いクマのキャラクター、ブラック・ベアとはどんなキャラクターだったんでしょうか?

ブラック・ベアはそもそも本を読もうというキャンペーン用のポスターのキャラクターです。ブルーナさんは大人向けの推理小説の表紙をそれこそ2000冊くらい手がけています。それは20年で2000冊くらいだから、それは相当な数のデザインをしたんだけど、とにかくその本はどんどん駅売りをする廉価版のペーパーブックだったので、それらの本を読んで下さい!って啓蒙・宣伝するポスターのキャラクターだったのがブラック・ベアなんです。

キャラクターとして特徴的なブラック・ベアの赤い目は、夜中に本を読みすぎたからです。だからもともとはブラックベアのキャラクターはポスターだけのもので、ブルーナさんが亡くなったときに1冊だけブラック・ベアの絵本が出版されました。

このブラック・ベアの絵本は、生前にブルーナさんが書いたものを出版したんですが、ブルーナさんの事務所が、ブルーナさんが亡くなるまではこの絵本を出版することは止めようという約束をブルーナさんとしていたらしく、そのために亡くなった後に1冊だけ出版されました。

ブルーナさんの絵本で、特にミッフィーの絵本に見られるお子さんでも読みやすいと言われる特徴はどんなところがありますか?

特徴で言えば、オランダ語版や英語版では踏襲しているんですけど、まず文章は基本的に4行になっていて、2行ずつの対になり、最後の一言は韻を踏んでいるんです。だから、そのリズミカルな感じで子どもが諳んじやすいみたいですね。

ほら、ぺローンとデローンみたいなもの韻を踏む感じがあるじゃないですか。そういう韻を踏むようところも、その韻を踏むための言葉の選び方や使い方も、実はブルーナさんがクローズアップされやすいビジュアルじゃない部分でも、絵本作りに時間を割いていたんじゃないですかね。

ミッフィーの作品で特に「ちいさな うさこちゃん」など初期の作品の頃は石井桃子さんが翻訳をされてましたし、石井桃子さん自身は相等な児童文学家なわけですから、いろんな言葉としてのチョイスは何がいいかってことは知り尽くされた上で”うさこちゃん”をナインチェの訳として命名されたわけです。

ブルーナさんは2017年に亡くなったため、もう新作が出ることはないわけですが、今も作品は売れ続けています。

それは誰かに初めて子どもが出来て何か買い与えようというときに、ミッフィーの絵本は登竜門の1つだと思うんです。絵本「だるまちゃんと天狗ちゃん」は誰でも親だったら買い与えようとするのと一緒で、やっぱり「ちいさな うさこちゃん」も読み聴かせてやりたいと親が思うのは、普通の流れかなという気がします。それはそうですよね。日本の優れた絵本でも逆に海外で翻訳、出版されている感じと同じだと思います。

よくよく考えてみると不思議だと感じるのは、なぜミッフィーはチビっ子もうさぎだと認識するんだ思いますか?

たしかに、それはそうだね。だからブルーナさんはチビっ子がうさぎだって思う要素で、ミッフィーを描いたんだろうね。うさぎの場合は耳が特に特徴だから、そういう意味では十中八九うさぎのことを知っている人は、うさぎだよねって思うことは世界共通かも知れませんね。

ブルーナさんがシンプルなデザインで創作をするうえで、大事にしていた信条や考え方があったら教えてください。

ブルーナさんの絵本は余白が大事なんです。彼もデザインした絵の余白のところを「room of imagination」と呼んでいました。

要するに想像の余白ですね。もともとブルーナさんは書き込まれていないその部分を大事にするという発想があるんで、絵本の中には出来るだけ余白を作りたいんです。それから最初に写実的に描き込んでも、それをどんどん削っていって、これ以上その線を取り除いたらもう何なのか分からなくなる一歩手前まで作業するわけです。だから逆にシンプルにする作業は苦心したって言ってますね。

その「room of imagination 」とペアで使うもので 「less is more 」があります。

「less is more 」という言葉は、ブルーナさんがけっこう大事にしている言葉で、ブルーナさんを言い表わす言葉としてあります。

ブルーナさんは絵の線を猫くときに、筆で点を重ねるように描いているから、線が直線ではなくて揺れているような感じになります。これは「line of heart beat」と名付けられていて「魂の震え」って言い方をしています。

「less is more」の言葉の意味をもう少し教えてください。

描いた絵本から書き込みなどをより減らすことによって、より想像の余白を拡げるみたいなことを拡大解釈して言うことが多いです。そもそもは、減らすことにより、より大きなものを得るってことなんです。ブルーナさんの大事な部分は、線のことや色のことだったりシンプルさとか、そういうところがブルーナさんの特徴ですね。あとはキャラクターが正面を向いているとか、絵本でいうとさっきも出たけど韻を踏むとかね。そういう部分も大事にしていたりとか。

今、正方形の形の絵本は多く出版されて当たり前のようになっているけど、あの正方形になったのは、実はブルーナさんの画期的なアイデアからなんです。そういう意味ではブルーナさんには先駆者の部分もいっぱいあると思うんですよね。彼自身も回顧しているけど、それまでにあった絵はもっと描き込んであったりとか、もっと読み聞かせをするために文字をもっと自分で読むものが多かった。だからブルーナさんのチビっ子が持ち歩ける絵本というのは本当に画期的なことだったんです。