230年以上続く酒屋の8代目はどんなことを考えていますか?

京都で僕は酒屋で8代目になるんですけど、230余年ここで商売をしているところに生まれて、僕がここに生まれてどんな酒屋になるとか、小さい頃から全然何にも考えてなかった。結局何となく酒屋になって思い返してみると、自分が酒屋として他の酒屋さんとどう差別化していくかとかも、それはある部分では自分のためじゃないですか。

そんなことを考えているうちに、何かこの人は面白いなとか何千年も続く京都の食文化を支えてきた錦市場は「京の台所」と呼ばれ、そこで8代続く酒屋の若大将はどんな考えをしてるのかと、いろんな取材を通してカッコよく答えたりはしていた。でもそれも考えたら単純に商売が良くなったりとか自分のためが大きいな。

結局それは回り回って自分さえ良かったらいいんじゃなく、自分も含めてみんなが良くなり、その中に自分も含まれているような考え方が、すごく自分には合っていると思うから、それを意識して行動してます。ただ思って行動しているのもしっかりと自分に戒めているわけでもなく、何となく生きてますけどね。

でも何となく生きていても毎日毎日が商売だし、僕はほんまにいい加減な人間だけど、お客さんやお得意先が求めてくれるところがある。結局それは自分で作り上げたものなんだけど、自分で作り上げたものに対して応えていく→またそれに対して作り上げる良いスパイラル。今の自分はお客さんの喜ぶ顔が見たいと思って日々生きてるんです。

錦市場で商売してると18時以降はほとんどのお店は閉まります。閉まったあとも人通りはあるんやけど、店はほとんどやっていない状態です。でも別に僕らはそこをどうやって活用しようか何てことは全く思ってないんよね。

そもそも昔から社会にどうやって貢献するかも全く考えてないよね。その昔懐かしい楽洛まちぶら会があって、そういう社会貢献活動をしていたときもあった。

そのなかで僕は敢えてこれは売名行為ですよと皆さんに申し上げていた。そのときに京都のために動いたり、京都が良くなるために動くのが社会貢献なんだろうけど、自分の利益になることしか考えてなかったし、情けは人の為ならずじゃないけど、結局自分が一番人間可愛いんで、じゃあ京都が良くなくて、それで活動を通して良くなって人がようさん来ればうちの商売が良くなるやないかって認識だった。

敢えて社会貢献をして、回り回って自分のためにしか動いてないようなスタンスで常に動いていたし、もしかするとそんなことまでも考えてなかった。とにかく情けは人の為ならずだからどうのこうのと考えていたわけでもなく、何となく動いていると結局このモチベーションは何なんやろうって思ったから、それは自分が可愛いんやなと。

仕事は親族経営でされているんですか?

弟がいて一緒にやってます。兄弟で仲良く商売をやっているのもけっこう珍しい。うちはおかげさまで上手いことやらせてもらってる。これは美談なんだけどお互いをまあまあ尊敬している。なかなか上手いことやれてるのは、そこは津之喜って看板があるからです。看板があるだけじゃなくてお互いが新しい道への行き方を知らんのですよ(笑)。

ほんまに専門店でやっているからやることは少ないんよね。だからウイスキーの勉強をするか地酒の勉強をするかだけなんで、それをいかにして売るかってことをやっていくだけで、別にそれも実際考えていない。自分の口から出るデマカセだけでやっているから。ただそのデマカセのソースはちゃんとしているから。嘘じゃないのよ。

デマカセというのは誤解しているけど、自分の中から出るに任せるってことやから、デマカセというのは嘘偽りじゃなくて、自分から発する感情のままにってことやから。このウイスキーは蒸留酒としてめちゃくちゃ良かったよ!とか、この地酒の蔵元にいってめちゃくちゃ美味かったとしか言わないから、もうデマカセで。僕の言うてるデマカセってそういうことやからね。

やっぱり観光客が多いイメージですが、実際は?

いやそうでもないですよ。ただ数年前よりは増えてますね。今たまたま観光客とか外国人も含めて押されてるけど、ただ本来の錦市場で買い物をするって人は潜在的には一定数はいはるんです。

京都の市場になんでこんなに人が来るかといったら、来る人のモチベーションは京都の日常を体験したいと思って来てるんやと思うんですよね。京都の人が買い物に来る錦市場に行ってみたいてことでしょ。日常を切り取りたい、日常を体験したいと思って来ているわけ。

例えば錦市場に鹿ヶ谷南瓜がどーんと市場に置いてあるわけですよ。でも鹿ヶ谷南瓜が美味しそうやし、今日旦那さんが帰ってきたらかぼちゃ炊いてあげようって若い子がいいひん。錦市場の行く末を考えたらほんまに食育から考えへんといけないから。

今錦市場は年末がすごいんですよ。今日の売上をベースにしたら一日で年末は5倍も売れるわけですよ。ほんまにとんでもなく売れるんですよ。それは何でかと言ったらみんなおせち料理の材料を買いにきはるから。そのおせち料理も50年後はたぶん無いですよ。文化としてのおせち料理は残ると思うんやけど。もうおせち料理の必要ってないじゃないですか。

おせち料理はお正月を迎えるそういう場でもあったけど、正月三が日ぐらいは普段料理を作っている人の食事の用意から開放するためだし、正月3日間は店がどこも開いてないから、買い物もでけへんし、せやから年末のうちに作っておいて全部保存食じゃないですか。

3日間はお節を祝いましょうと言っているけど、実のところはそういう意味合いが大いにあったと思う。今やもう元旦から店も開いているし、コンビニも完全に開いているし、コンビニの弁当が美味いと言っている時点でもう錦市場は別に必要ないわけですよ。

でも錦市場じゃないとあかん商売を錦市場はやっているわけですよ。やっぱり料理人は絶対来ますしね。朝のうちに絶対来はります。そういう伝統は全く変わっていない。そういう食材もみんな錦市場で揃う。

だから時代に迎合していくんじゃなくて、うちがかつては時代を作って行っていたわけやから、そのままの脈々の流れを自信と誇りを持ってやっていかないと日本の食文化があかんようになるんちゃうかとホンマに思う。

京の台所=京の食文化をもし担っているとしたら京料理と言ったら世界に通じる和食も無形文化遺産になったし、日本の食文化を僕ら一人ひとりがものすごく近いところで担っているんやという誇りを持って商売をせなあかん。

京都もバスなんていつも混んでるから乗りづらいし、京都の交通網がもともとめちゃくちゃヘタレじゃないですか。観光に対してインフラ整備がされてないところにどーっと世界中から来はる。

今の状況はもうほんまにそのうち落ち着くと思いますよ。緩やかな下降線をたどってある程度のところで落ち着くと思う。まあ7月になったら祇園祭でバッと来るし、秋なんて京都の紅葉とかあるから目も当てられへん感じですよ。ただほんまの紅葉を見ようと思ったら飛騨高山とかに行ったほうがなんぼかええと思う。

例えば紅葉を見るとか桜を見るとか、見るのはむちゃ遠くから見たほうがキレイじゃないですか。遠くからコントラストや風景に溶け込む感じだとかと思う。京都に来るのは文化を体験しに来るのが一番やと思うし、それに対して飛騨高山の人が紅葉を守ると、道路を整備しましょうってモチベーションで地域活動をするとしたら、僕らの地域活動は昔からのやり方というか、育まれた日本の食文化のための何をしたらええかってことをシンプルにやりゃあええと思う。

だからほんまに街ぶらの時代から言うてるけど、京都のみんなのイメージは寺社仏閣があって古の街みたいなイメージがあるけど、それちゃうねん。京都が出来たときの京都は文化の粋を集めた世界でも最先端の都市だったわけじゃないですか。その頃建立された寺社仏閣は、その頃の技術の最先端の集合、未知の建物がその辺に建って、日本の人にとってはそれこそ近未来の都市、最先端のcityじゃないですか。それが本来の京都の姿やから。日本の文化的な情報のほぼ全てが京都発信だった。そういうのが京都らしさ。

寺社仏閣があって古の懐かしいとかそういうワードじゃないと思う。そういうことを意識して、そこに邁進して地域活動をどうのこうのとは僕も思ってないし。そういうことに関しては日々やっぱりそれをモチベーションに日々頑張っているわけではないんですよ。やっぱり商売のやり方のどっかにつながっているんやと思って何やかんやちょくちょくは考えてますよ。だから信用とかもしてくれるのかも知れないし。やっぱり230年続く酒屋が何で続いているのかってことですよ。大筋は変えずにその時代ごとで変えてやってます。同じ酒屋ってカテゴリーやけど全く扱っているもの違うし親父の代とは全然違う商売ですからね。

変えるって軸足を変えたら酒屋という商売ではなくなってしまうんやけど、逆に変えへんかったら続けられへんもん。同じことをやってたら続かへん。