いかにファーストペンギンを生まれやすくするか

会社という一つの社会のなかでは、自分たちで幸せを定義して良くしていくことは可能だと思うし、僕らはそれを工芸業界全体に増やしていきたいなと思っている会社です。試行錯誤しながら良い仕組みを作って、僕らがしたその苦労を他の人たちがせずに、横展開をすること自体は、コンサルティングや教育事業などいろんな形で展開しています。

事業の業績が伸び、みんなが喜ぶことをやるために、僕らが職人だったり、それに紐づく会社などがある程度階段を飛ばして成長しやすくできたらいいなと思っています。ちょっと話ズレますけど、前職でかなりどっぷりとエンジニア集団と仕事をしていたのは、すごく良い経験でした。彼らの生き様も面白いし、良いと思ったことは「楽をするための苦労を厭わない」という姿勢です。それは本当に素晴らしいと思うし、マインドとして今も正しいと思っています。

前職のとき、当時の上司と二人でたどり着いた仕事の結論が、「狂ったことは許されないよね」と「狂ったことをやりたい」でした。前者の狂ったことと言うのは無意味な慣習等のこと。生産性が犠牲になっても、誰も検証できないまま、おかしいなと言えないまま何となく守られているルール、例えばExcel方眼紙やはんこリレーもそうですよね。後者はイノベーションの話で、誰もやっていないものだからこそマーケットがあるかも知れないし、誰もやったことがないというだけで飛び込んでいくことだけですら、価値があるんですよね。チャレンジの価値は結果が産み出す成果だけでなく、その行為自体がカルチャーに対する投資であり、価値がある。

トップがガンガンチャレンジしていると、そういうチャレンジがアリなんだと周りが思うし、ファーストペンギンってあるじゃないですか。最初に馬鹿をやっている奴がいて、そこに最初のフォロワーが付くと、自然にバーっと場が盛り上がっていく。だからファーストペンギン自体がすごく大事なことだから、いかにファーストペンギンが生まれやすくなる組織をどう作るのかも併せて大事になってきます。なのでトップ層がまず振り切る。その上でその直下のマネージャー層からひとりファーストペンギンを作る。そのファーストペンギンが周りのマネージャー層に影響を与え、次はその各マネージャー配下の一般職からファーストペンギンを作り以下同文という感じで、その効果が一般職層にまで広がり切る。あとは筋のいいチャレンジを経営層がキチンと掬い上げるということが大事かなと。

チャレンジなくして、会社は変わりません。ボトムアップは言うは易しですが、カルチャーと仕組みがない状態でボトムアップを望み「最近の若手は勢いがない」などと嘆くのは経営層の妄言でしかないです。

時代は日々変わってるますから、望むのではなく、嘆くのではなく、まず自らをアップデートするという意識で変え続けていくしかない、それをチャレンジと呼ぶんです。

創業300年のスタートアップと、世代間コミュニケーション

僕らは自分たちのことを創業300年のスタートアップと言っています。ずっと300年間高級麻織物を作るメーカー卸として商いをしていたところ、先代の社長が事業転換をしてSPA事業を始めました。そこから10余年ぐらいのあいだで約4億円の規模から約60億円の事業規模へとすごい速度感で変わったんですよね。成り立ちは古い業界なんですけど、僕たちはスタートアップという気持ちでやっています。

単純にこれは背景もあって、工芸業界は80年代バブル期が流通金額も職人数も多かった。今の流通金額は当時5000億円から1000億円を切っている状況だし、職人数は当時83万人が今は7万人以下になっている。さらにはそのうちの60%以上が60代以上なんですよ。だから僕たちは大切にしている工芸や工芸技術やそれに紐づく文化風習は、割と急速になくなっていくもしくは形が変わる可能性があるんですよ。

そこを僕たちは無くなったら惜しいと思っている危機感があるのと、それが急速に失われているということを実情でも数字でも体感している。だから僕らの事業の最大の背景というのは危機感。 そこが重要なんです。そうなるとのんびりしていることがどの業界よりもない。だから、常に革新的であらねばならないと思っているわけです。

平林

カメラマンの仕事をやっているとずっと頑張ってやっていこうと思う反面、やっぱりどこかで引き継がなきゃなと思うことが出てくる。でも上手い具合にバトンタッチが出来ない。バトンを渡すことを自分も出来ないし、受け止めてくれる人を今見つけることができない。

緒方

わかります。

平林

こっちの期待と向こうの次の世代の人たちで、考え方などにズレがけっこうあるんですよね。そこで悩むんです。一方的すぎる期待の仕方をしているのかなって思って。

緒方

それはお互い様の世界もあるんですけど、「期待」はコミュニケーションにおいてとても重要な因子だと思っています。前提として、期待というものは自分中心のものです。こうあってほしい、と相手に願う状態ですから。でも相手からすればそれが嬉しいか嫌か、実現可能かは別です。するべきは期待ではなく移譲です。簡単に言うと任せるということ。

また極論で話進めますけど、価値を引き継がせたい側からすると、乱暴なやり方だと「盗め」みたいなコミュニケーションをする場合がある。盗むほどの価値があるという前提で生まれているコミュニケーションですが、その前提がそもそも間違っているかもしれない、と考えることは大事。世代や人が違うと価値の捉え方が違う可能性は高い、となると僕たちが思っている仕事の価値基準ほど、彼らは仕事に価値を置いていない場合もある。となると「盗め」というのは期待のすれ違いで発生する暴力的なコミュニケーションになるわけです。

目で見て盗めではなくて、今までにやってきたことの記録やマニュアルがあれば、一旦読んでからのほうが、理解速度が上がるのではと部下は思ったりしているかもしれない。そういう前提を踏まえずに期待はしない方がいい。やってみせ、任せて、一緒に振り返るという流れがいいのではないですか。

僕らの世代だと苦労して勝ち取るものにこそ、スキルとしての価値があると思う人もいる。でも世代が下の子からすると、情報はサクッとゲットして品質を上げたり、自分の時間を効率良くするなど、僕らの世代とはズレもあったりするじゃないですか。それってコミュニケーションを取らずにその後ズルズル行ってしまうと、変な期待のすれ違いが生まれてしまいますよね。

コミュニケーションを取らずにズルズル行ってしまうと、多分誰も幸せになれない。コミュニケーション取らないのであれば、全部任せるのが筋。どっちも良し悪しありますが、責任はいずれにせよ、上が取る。

最近基本的に僕らの価値観より、ここから未来を創っていく世代の価値観のほうが重要だと思うんですよ。それには僕らがプライドをまず捨てないとけっこうしんどい。僕らのプライドが原因で、大事にしている価値自体が継承されないなら、捨てちゃいましょう。数多あるボトルネックの中で自分が変わるだけで結果が変わるものがあるならこんなに効率的なものはないですから。

世代で線を引く必要はないですが、突き詰めると多様性とは最終的に個人です。みんながみんななりにそれぞれ頑張るために期待のすり合わせは必要です。

僕たちは職人がしっかりしたお金を得て、ちゃんと光を浴びて憧れられる存在となるようにしたい。誰かが変わらなきゃ、誰かが頑張らなきゃ、それは起きないんです。「現状維持」できるものというのは世の中にはほとんどありません。何もしなければ基本的には劣化するんです。それはカメラマンだとしても変わらないはずです。

多様化するコミュニティ

僕らの上の世代は戦後世代だったのもあるし、テクノロジーの進化の過程だったし、ないものが多かったから、新たなものを生み出しやすかった世代でもありますよね。特にハードウェア。カメラもそうかも知れないですし、電車もそうですよね。それ自体がなかったから生み出され、僕たちはそれを価値として引き継いできている。でもどうやっても0→1ではなくて1→10の世界になってくると、ある意味ハードウェアの側面、物質的な欲求と言い換えても良いかも知れないけど、それ自体は、僕らの世代である程度飽和が来ていると思っているんです。今の生活をかつてほど爆発的に便利にはもうあまりできない。みんなが一斉にひとつのものに熱狂しにくくなっている。

シュプリームをバッチリと着ているスケーターがアニメにハマっている状態も普通だし、それ自体はとても素晴らしいことだと思っているなかで、何でだろうと考えると、まず情報が単純に大量になりかつ分散しているし、コミュニティは容易性は上がったけど、一元管理ではない。何か役に立つことよりは、好き嫌いっていう価値観に単純に移り変わっている気がしています。好き嫌いを言いやすい世の中。好き嫌いの世代になって重要なことは、いかに人生を好きだけで集めて自分らしく過ごすかだから当然好きではないハードコアな部分からは可能な限り距離を置きたい。あったとしても最短距離にしたいだろうなと。これは歴史の変遷をみても明らかだし、どう考えても圧倒的に正しい。先人たちが過去に積み上げたものごとを同じ時間をかけて習得していたら品質向上に時間がかかりすぎますし、イノベーションなんか起きないから。それは音速で習得する、ここにテクノロジーの価値が今必要、つまり、教育ですね。それは特に学校だけど、社会の中でも。

役に立つではなく、好きか嫌いか

平林

モノを売ろうとする行為と消費者に何か分かってもらう行為もやったりするんですか?

緒方

これはもう1セットです。中川政七商店の感覚でいうと、伝えた先の評価の1つが、売れたという現象ですね。売上は評価のひとつでしかないけど、それで目的がブレてはならない。ただし、それをビジネスだと思っていない綺麗事は戯言でしかないので、やっぱりビジネスはすごく大事なわけです。とはいえ順番を間違えてはいけないと言うのは、これはこういうものなんですよと正しく伝えるべきものを正しく伝えた上で、別にそれはSNSで評価を書いてくれるでもいいし、内なる炎として「今日は良いことを知ったな」でも良いし、売れると当然ありがたいです。ただ、仕事の順番は間違えないようにはしています。

売るためにどうするかではなく、伝えた先に売れるといいな、です。

社会貢献意義と消費/投資の関係って、これからどんどん重要視される時代になると思うんですよね。あの企業のスタンスが好きだから投票するって心理の購買行動になってくる。

平林

企業のファンになるって感じですかね?

緒方

ファンというより、僕らの持つイメージに近い言葉は「応援」もしくは「並走」。役に立つじゃなくて、好き嫌いのフェーズに入っているのはまさに今の話で、その価値観が好きだから、投票のために買うんだという購買行動、それこそスターバックスさんが先陣きってやってますけどプラスチックのストロー反対みたいなムーブメントがあるじゃないですか。あれがまさにひとつそうで、地球環境を破壊していることを良しとしないという事に真剣に向き合っている姿勢に賛成するから、スターバックスに人が行く理由の1つになるし、行かない理由の1つを潰すことでもあるんですよね。

何を仕事にするのではなく、誰と仕事をするか

僕は基本的に自分で何かを成し遂げたいという欲求は0なんです。それこそ音楽に例えると、自分は音楽自体がやりたかったわけじゃなくて、バンドがやりたかっただけだったんですよ。だから誰と仕事をするかが僕の仕事に対する最上位概念です。一番重要な資源は時間じゃないですか。例えばお金はどうでも良いんですよ。僕からすると仕事が!と頑張って成果を出すことや、お金を稼ぐために仕事と割り切ってやるのはちょっと意味がわからないですね。

エキサイティングには過ごしたいと思うけど、仕事で何をするかというWhat軸は僕の中ではどうでも良く、Who軸のほうが強い。つまり自分が一緒に仕事をしたいと思う人と仕事をしたい。結局だからドラクエみたいなものですよ。

最強のパーティーを組んで、一つずつ中ボスを倒し、最後にはラスボスを倒してみんなで喜ぶみたいなことが素敵だなと思います。もしかすると僕自身にやりたいことがそのうち出てくるかも知れないですけど。

自分たちではなく、次の世代へ価値観を合わせる

今の40〜50代の仕事だと思います。僕らは今すごくそこの価値観や考え方なりを翻訳する仕事を頑張らないといけない、まさに狭間なんじゃないですかね。

いま価値観の話だと世間では25歳あたりがZ世代、デジタルネイティブ世代と言われています。彼らと僕らの価値観はやっぱり多少違うんですが、デジタルネイティブマインドは現代の脳OSとしては必須。これをスタンダードにしていくべきです。現代をどう生きるかという視点は彼らのほうが基本的に真っ当ですよ。

例えば彼らは慣習というしがらみに対して「意味がわからない」という価値観がある、、と一旦しましょう、そうじゃない子もいるとは思いますが、一旦。

で、これはさっき僕の仕事の姿勢のところでも触れましたが、最高だなと思うんです。僕らが若かったころに、大人に対して分かってないなと思っていたように、彼らも僕らに対して多分思ってるわけです。かといって別に僕らと同じ苦労をしてほしいわけでもない。本質を正しくキャッチアップして、むしろ僕が定義した価値が1だとしたら、それをそのまま渡した上で、10にしてほしいなと思う。俺の屍をどうぞ越えていってくれって感じです。

あ、全体通して一応補足ですけど、僕らが若い世代に敵わないと言ってるわけではないですよ。普通に、勝ちます(笑)

若い世代の価値観がスタンダードだと考えるほうがいい気がする、という話です。なので、古くからあるものである工芸が今どうあるべきかを導き出すためにも若い人に話が聞きたいので、良かったら是非、中川政七商店のお店で色んな工芸品に触れてみてほしいなと思います。