「福井人」について教えてください

最初私もまちづくりの連載を雑誌でさせてもらってたんですよ。福井で「URALA」という雑誌があって。そこで友だちと私たちが思う魅力を感じるまちづくりの取材をしていったんですけど、結局取材をしていくと、街という総体よりもつまるところは人だなと。活躍している人や想いがある人がいるからこそ、そこの街や雰囲気が良いということが、自分たちなりの結論。結局取材する中で面白いと思ってるところが、そういうところだったので、人が主役なのは間違いないというところがあった。『福井人』ってまさに人を紹介するという新しい観光ガイドブックなのですが、福井にとっても大事だし、人への焦点というのが本質なんだろうなと思うんです。そういう想いから始まってます。まちづくりとか都市計画は、結局人に尽きるなと思っています。

大雪と「できるフェス」

福井に生まれて、福井には18歳ぐらいまで住んでました。福井は結構大雪があって、それこそ昨年の冬も30〜40年ぶりの大雪でした。でもそんな災害のたびごとにみんなの気持ちが少し変わって動くことは、大事なことだと思っています。その大雪からの気づきがきっかけで、「できるフェス」というイベントをしました。その大雪のダメージは大きくて、結局除雪で約50億円の費用が掛かってしまったんですよ。様々な方法で費用の工面が行われましたがそれでも5億円ほど足りず、151に及ぶ事業が出来なくなるという事態になってしまった。

その出来なくなった事業を私たち市民が、もちろんそれをそのまま復活させることは出来ません。でもアイデアやできることをみんなで持ちよれば、私たちでも出来ることがあるんじゃないかって思って「できるフェス」を実施したんです。誰しもが好きなことや得意なことを持ち寄って社会づくりの一員となれる市民フェスです。また、福井は自然災害との歴史なんですよね。

日本人は自然に大きな脅威を持つことで、また生活を見直すことが出来る民族だと思っています。日本人の民族性とか、生活性はかなり身近に自然の脅威があり、その中でしっかり生きていかなくちゃいけない、共生しなくちゃいけない。それがあるために、みんなで心を合わせる、体を合わせる、手を合わせるという繰り返しだと私は思っています。「できるフェス」もその一環で生まれてくれたと思っています。

中止が検討された151の事業は市民実感のある事業がけっこう多くて、私が一番琴線に触れたのは、学校のプール開放事業です。夏休みって私は小さい頃毎日プールに行っていたんですよ。それも出来なくなるんだなあと。自分が一番子どものときに楽しかった思い出が、自分たちの子どもの世代に引き継げないんだと思うとなんだか寂しくて。いろんな事業があったんですけど、そういうみんなが大事にしている事業がけっこうあり、これは何とかしないといけないと、25人ぐらいで集まって話し合いの合宿をしたんです。そしたら、学校のプール自体を私たちが開放することできないんだけど、例えば、家に持っている家庭用のプールを中央公園にみんなで持ち寄れば、すごく彩り豊かなプール空間が出来るんじゃないかって、一人の友人が言い出すと「これだっ」となった。そういう視点に立てばいろんな事業が結構やれるんじゃないかって。市の事業の目的は果たしながら、方法としては私たちなりにやれることを持ち寄ることでできることってたくさんあるねと言うことで、それをたくさん詰め寄った2日間のフェスを開催しました。舞台は市役所の真ん前にある中央公園。市に貸してもらって、気持ちとしてもご一緒させてもらったなと思っています。

そもそも福井には愛着はあった?

いえ、もともとというよりは、JICAの仕事で、外に出たことが大きいなと思いますね。いろんな国の都市計画や都市開発のプロジェクトを立ち上げる時に、その国の大臣などとお話させてもらうのですが、いくら報告書などを読んで事前に知識を入れ込んでも、大事なところってやっぱり自分の実体験というか、自分自身が何をやってきたかというところを問われることが多くて。じゃあ、あなたの街でどういった都市計画やまちづくりをされているんですかと聞かれたときに、やっぱり自分の経験として、そこはないと言葉に重みがないというか、表面的な仕事の仕方だけはしたくないなと思って。報告書を読めばある程度マクロ的な数字は得られるんですけど、やっぱり自分が実際やって感じたことで話をしたいわけです。さらに途上国に対して日本は協力するわけですが、一番大変なのは現場の地元の彼らなので、責任を持つ地元の彼らがまさに主役なわけですよ。そうなったときに自分のいちばん大事な地元に対して、自分自身は何も出来ていないじゃないかと、完全に外に出てから感じ、自分の街でもまちづくりをしたいなという気持ちが湧いてきました。

地元に携わって変わったことある?

高野

自分の変化が大きいですね。まず楽しいし、役割の密度も感じるので、それは楽しいしやりがいがある感じは強いですね。

海外とブータンと当事者意識

もう完全に人ありきですね。私たちが一週間出張に行ってそれだけで何かが変わるんだって話ではないじゃないですか。そこで頑張ってる方が一番尊いわけで、その当事者であるその国の人が何をしたいか、何ができるか、それがないと協力なんて出来ないですよね。ブータンで言えば1964年から人と人の繋がりでずっと日本の協力を続けてきているので、もう50年以上ずっと人と人との交歓を続けていることが肝ですよね。

ブータンの国王はお若いよね

高野

お若いですね。30代後半であられます。ブータン国王も日本からブータンに派遣された青年海外協力隊から体育の授業を習われたりと、そういう歴史があります。それぞれの年代でいろんな日本人と会われ、その積み重ねがあります。

ブータンにしばらく住んで価値観は変わった?

高野

もちろんどの国もパラダイスなんてないので、ブータンはブータンで大変なことは当然あります。ブータンの良いこと悪いこと両面見た上でなんですけど、やっぱり価値観として社会の寛容は素敵ですね。私はブータンには子どもを連れて行っていたので、子どもと住んでいる観点で言えば、社会インフラ的に例えば停電が起こるとか、医療事情がそんなに強くないとか、途中で土砂崩れがあって道が壊れるなんてしょっちゅうあるんですよ。でもそこはそこの大変さがありながら、隣の人がすごく優しいとか、街を歩けば必ず声をかけてくれる。何か困っている顔をしていれば、話かけてくれるというのは、やっぱり日本とはちょっと違う社会基盤をブータンは持っています。率直に羨ましいし、そこは人間としては大きな価値だと改めて感じましたよね。

だから何が豊かで何が貧しいみたいな端的なことで物事を決められない。もちろん経済的な豊かさでいえば、現実的に日本のほうが圧倒的に豊かです。ただ日本の中にも貧困ってあるわけじゃないですか。貧困の定義自体が貧困なので、そこは感じますよね。

物質的じゃないところにあるかな

高野

月並みな言い方になってしまうかも知れないですけど、そういう物質的な発展だけじゃない開発のあり方とか発展のあり方は絶対にあると思う。私はつまるところは人なんですよね。「開発」って言葉は、日本だともともと仏教の言葉なんで、カイホツって読むんですよ。元々は自分の内面にある良いところを自分が知り、それを確認し豊かにしていくという意味なんです。だから言葉としての「開発」の持つ本来の意味は内発的なものなんですよね。それが今は外を開発するという他動詞になってしまっている。それは我々日本も含めた西洋諸国が敷いてきた価値感なわけで。そこは改めて考え直さないといけないという経験を、ブータンではけっこうさせてもらいましたね。