しあわせのアクションリサーチ

私がこの間やって面白いと思ったのが、福井新聞と日立京大ラボとの共同プロジェクト「未来の幸せアクションリサーチ」。私はクリエイティブ・ディレクターとしてご一緒させてもらっています。日本の幸福度ランキングの調査は、経済的視点によった価値観がやっぱり強くて。例えば文化を測るために、ひとりあたりの娯楽消費額を一つの指標として見ていたりするんですよね。それってやっぱりどうしても今までの価値観を引っ張った指標なので、そうじゃなくてもっと主観的なそもそもみんながどういうときに幸せを感じるのか、どういうものに幸せを感じるのかを、福井県民の方400人以上から1000個以上の幸せを集めて、それを福井人の幸せの150指標としてまとめました。これは指標を通じて測りたいというよりも、これだけ多彩だということを見える化したんですよね。

例えば、“まちづくり”の分野だと主観的な指標として、「自分の役割や居場所がある」っていう指標が出てきました。これまではどっちかというと、客観的指標としての「企業立地数」とか「観光施設数」などがまちづくりの指標でした。その他にも “学び”の分野だと、「新しい発見ができる」ときが幸せだとか、“自然”の分野だと、「四季を感じる」ときが幸せだとか、“仕事”では「自己実現できる」、“家族”では「子供の寝顔」を見る時とか。本音のところを出してもらって、150指標にまとめました。多様性を考えるときに、自分たちが持っている幸せが、身近なんだけどこれだけの多彩性を持っていることを、お互いに許容できるかどうかはポイントになるんだと思うんですよね。

こういう当たり前の幸せ観を日常の中で表現できることが、私は地域が豊かになっていくことだと思います。私の中では、自分が持っている幸福感とか幸せのポイントをしっかり表現できて、そうやって生きられることが多様性のある社会だなって。幸せは人によって違っていて、人によっては学びが大事な人もいれば、自然とふれあう時間が大事な人がいれば、仕事をがんばりたい人もいれば、家族との時間をたくさんとりたい人もいる。またはそれらをミックスしたい人もいる。その違いを分かって許容できれば、私はそれだけでいいんじゃないかなと思っているので、これまでの単一の価値観に基づいた指標をもっと溶かしていくというか、より人の内側に入っていく指標や視点というものが、日本においては大事かなと思いますね。

当事者意識をどう持つのか

高野

もちろん社会の全部に当事者意識は持てないですけど、当事者意識を持てるエリアが小さくなってきているかもしれないですね。特に都市はそれを狭めても生きていける性質があるじゃないですか。自分がある程度お金を払えば、消費者として電気はもらえるし、水も来る。だから都市の開発の歴史というのは、当事者性を極端にまで狭めてきた歴史かも知れないですね。それがまた地方に行くと、まだその当事者性を多少広くしないと生活として回らないところもある。東京に住んでいるとどうしても、お金を払えば、ある程度そこをキープできるところはあるからね。

平林

他人事だと思っちゃうこと多いでしょ?

高野

多いですね。

平林

頭のなかで繋がらないんですよね。いわゆるクリエイティブ系の人が集まった場所でみんなが言うのは、みんなの想像力がすごく低下している。だから、それがつまり、社会的に起こっていることと自分との関連を想像できない。

高野

それは本当に大きくて、かなり根深い問題だと思いますよね。分野を越えた想像力が出しきれないというのが。それが当事者意識のやせ細りとかなりリンクしていると思います。

それって教育の問題なんですかね?

平林

それは間違いではないと思うけど、自分で考えるというプロセスが教育の中でも、社会の中でもない。いつも出来上がったものを目の前で押し付けられることが多いじゃない。

高野

教育の問題もあるだろうし、現実的に想像力をやせ細らせるという仕組みは十二分にあるよね。

できるフェスが面白かったのは、みんなが当事者として151の事業でやりたいことを復活させること。だから当事者意識をいかに持っているかと、想像力で分野を越えられるかってすごく大きなキーワードな気がしますね。そうでないと民主主義は観客民主主義みたいな感じになってしまう。批判だけしているのは楽なんですよ。当事者意識を持って行動するいわば行動人口みたいなものが、そんなに多くない人口構造になってしまっている。

十中八九のテーマの1つに「余白」があるんですが、「余白」をどう捉えますか?

余白は多様性を支えるスペースなんだと思います。やっぱり密度が高ければ高いほど、ある種単一的な圧力が強くなっていくので、どんどん空間的にも余白が出てきているし、時間的にも間違いなく余白が出てきているので、そこはチャンスだと思う。私にとっては、余白と言われると白いキャンバスみたいなイメージなんですよね。そこに対していろんな色が増えるチャンスがあるというのが、私の余白のイメージですね。人口が減ることが良いと言いたいわけじゃないけど、一定期間間違いなく人口は減るじゃないですか。そうなったことによって空間的な余白は増えるし、時間的にも少なくとも一時期よりも仕事も含めて余白が増えている。想像力という意味でも、新しい可能性という意味でも、いろんな色がそのキャンパスに増える可能性がある。私の余白はそういうイメージですね。

いまの世の中は、可能性が減るよりは増えている社会?

高野

可能性が増えていって欲しい社会かな。これからは増えるしかないと思いますけどね。私は”幸せ”が1つのテーマなんですけど、幸せな国は当たり前ですが、幸せな人が多い国だと思う。幸せな人が多いってことは、世の中において自分の持った可能性を開花出来ている人が多いということだと思っているので、そういった意味では、そういう道じゃないと地域が幸せになる道筋って私は立てられないですね。

少なくとも私たちが生きている数十年は世界中で価値観が多様化していくという流れは変わらないと思います。だからもっと余白が増えればいい。スペース的にも時間的にも余白は増えてきていると思います。

みんなが同質ではなく、違ったままでいられる社会はすごく大きな目標だと思いますね。だって違うんだから。それを変に狭義の平等という意味で縛るとおかしくなって、むしろみんな違っていられることを保てることがよっぽど平等ですね。

結局多様性って何なんでしょうかね。分解していけば他人を尊重出来るとか、認めあえるってことだけですよね。そこに尽きるじゃないですか。その延長線上の集団としての性格が多様性なので。

まだ日本では多様性は言葉だけが先行しているイメージなので、みんなと違うっていうことがどういう力になるのか、違うっていうことの中にある本質は何なのか。ただ違っていてもいいということが目的でもない気がするので、じゃあ違っていることが、どういう力になるのか。例えば、自然界の中にいろんな異なる生き物が存在することによって、まさにレジリエンスみたいなことが高いとかね。今はとりあえず多様性という言葉だけなので、それをどう実際に進めるかは大きな課題なんでしょうね。