一番得意なジャンルについて教えてください

グラフィック、編集のほうが上手いかな。プロジェクトを組み立てたり、構想を組み立てるような、アートディレクターって考え方かな。自分でも手は動かせる。友だちにロゴを作ってとお願いされたらやるし、払えないと言われたら、何か美味しいものを食べに連れて行ってもらいます(笑)。私がやるグラフィックはそれくらいの楽しさがあったほうが楽だし、変に予算を突きつけられると仕事仕事になっちゃう。

私もあまり絵は描けないんですよ。イラストチックなものは描けるけど、デッサンは出来なくて。アーティストも全部自分でやらなきゃって言っている人はいるけど、結局本当に上手いアーティストは上手く人を使っていると思うんです。

自閉症をもつアーティストも自分でこつこつやっているんだけど、でもその環境を与えてあげている周りがいるからそれは出来ているわけですよ。

谷根千エリアに住むのは長い?

大学院の頃から住んでいて、もう10年ぐらいになるので長いですね。エリア内で転々と住む場所は変えているんですけど。

13歳まで日本で生まれ育って、そこからイギリスに渡りました。25歳までイギリスの大学で学んで、卒業後はグラフィックの仕事を転々とやっていました。その後短期就職した事務所がどうも肌に合わず堅苦しくて、こんなにも自分がグラフィックっていう素晴らしい視覚伝達の技術を身につけたのに、何でこのだれも感動しないパッケージのラベルを作らなきゃいけないんだって思ったんですよ(笑)。

イギリスもたぶん日本と同じで、あまり奨学金を母国の人がもらえないから、海外の大学の奨学金制度をいろいろと探していたら、アメリカとオランダと日本にあった。その全部に応募した結果、最初に日本のに受かったんだよね。しかもその受かった文部科学省の奨学金制度、実は私の親も同じ制度で日本に来て出会ったらしいんですよ。

幼少期は日本で育ったし、懐かしさもどこかにあったから大人の目として今の日本も気になったから帰ってきた。日本で生活することは大学院までで止めようと思っていた。でもやっていくうちにとりあえず博士号を取ろうと思って。博士号を取ったら、世界のいろんな大学で働けるでしょ?でも日本で学んでいるときにオリンピックが2020年に開催すると決まって。

もともと知的障がいや精神障がいをもつ人の描く絵がすごく好きで、それをお金につなげたりする活動を実践研究してました。最初はそれこそ大学が「お前何やってるかわからない」って言ったけど、オリパラが決まった瞬間に手のひら返したみたいな(笑)。でもそこからやっている事の重大さを分かってもらえました。それで大学に残って博士を卒業してからは、仕事もちょくちょくもらうようになってきた。

今は東大にある先端研で研究職をやっています。もともと私の活動は、デザインで絵を商品に展開するだけじゃなくて、現場の人たちが自分たちでアートの才能を開花出来て、アートを文化に育てるような思考を組み立てていってました。それを見た先端研の私のボスが、通常の学校教育に馴染めない子どもの教育プログラム 「異才発掘プロジェクト ROCKET」のなかでアートに興味のある子のプロデュースをしてくれないかと言ってくれて。それをやりつつ障がい福祉の分野でアートの活動とか、全国のいろんな地域でデザイナーと障がいのあるアーティスト(以後アーティスト)をつなげたりしています。

ふとした行動が気づかせてくれたこと

日本のアートの傾向って1つ何か自分のやり方で売れると、それを10年ぐらいやるじゃないですか。私なんて3〜4年で変化がないとすごく飽きるタイプなんで。1年ずつでも何か進歩したり、違ったところが見えてこないとダメなんです。

子どもの学びの支援やアーティストの支援も、そもそも支援という言葉がおかしいんだけど。彼らと一緒にやっているとむしろ自分の心のままに生きたくなるわけ。それをダメっていうのが正解なのかというとそうではないし。例えば何か作品を展示するとき、プランを立ててって言うと、子どもたちは明らかに手順が間違っていて、「それは違うよ」と言っても、それって自分の経験を押し付けているだけで、実際に子どもが自分の考えでやってみても、結果出来ちゃうんですよ。だから社会は何かいっぱい人に押し付けているかも知れないけど、障がいのあるアーティストも書く順番も全く違うように書くけど、作品としては成り立つんですよ。

この前展示会をやったんですけど、子どもがの作ったキャプションがデザイン的にあまり良くなかった。でもとりあえず、子どもにやらせるのは大事にしているから、1回やってみて私がフィードバックすることにして。とにかくキャプションをどうしても子どもは貼りたい。結局すごく几帳面な子だから、キャプションを壁に沿って床に斜めに置いたんです。そしたらそれがすごく素敵で、思わず「これでええやん」みたいな。子どもも「良いっすね!」みたいな。ワクワク感をその子はそこで味わえたし、私も正直キャプションはいらないんじゃないかと思っていたんだけど、それをやった瞬間に一緒に発見出来た。だから展示って楽しいですね。本人もいろいろと計画と変わって楽しかったですと言われて。

アーティストとか子どもたちはまだ開放されているし、子どもはまだ染まっていないんだけど、大人がその個性を殺しちゃう。

私が中2で海外に行ったのも、親もこのタイミングで外にいかないと個性が潰されるって思ったんだと思う。多分12〜13歳で行かないと「将来ヤバいんちゃう」みたいな感じでイギリスに向かった。

小学校と中学校では感覚は全然違った?

ライラ

小学校から中学に入ってガラッと変わった。小学校では自由に学んで、「何でー」とか先生に聞いても、まだ子どもって思われるから、自由に先生も発言したり会話もあった。でも中学になった途端、次の試験の準備でしかなくて、中間テストの準備、期末テストの準備、入試の準備みたいな。これじゃ全然自我が育たない。

最近一緒にやっている子は、北斎に魅了されて、北斎の版画を自己流でやるんですよ。ずっとやっているの。周りからしたらもっと学びなよって思うんだけど、でも北斎からも学べる。漢字とか歴史だったり勉強するんだったら数学も学べる。塗料の配分だと理科も習えるし。その人の特性を活かした学び方って絶対あるよね。

平林

才能とか個性ってどんどん無くなっていくでしょ。

ライラ

あと一番にならなきゃいけないみたいな風潮もある。

平林

その一番を評価する基準は、日本の中の基準だから、そこにハマらないとダメでしょう。最近大学生に会うことが多いんだけど、大学生ぐらいまでは、まだ自由な発想や個性があるんですよ。その人たちが就職して会社で働き始めて、3年ぐらい経って会うとロボットみたいになっている。

ライラ

車椅子に乗っていても、やっぱり気づいてくれるのが高校生とか大学生ぐらい。大学生で就活になったら、自分に全てを盛り込まないとやっていけないみたいな。いろんなことを盛り込まれすぎて自分で精一杯になっちゃうんです。みんな何かを感じる時間がないよね。美術館に行ってもここを見てくださいと順路があったり。センスも必要だと思うんだよね。素晴らしい世界遺産に行っても、パワポで作ってA4のレーザープリンターで印刷した注意点の表札があるだけだったり。

平林

センスがないというか、想像力がない。