なぜ歩行者天国は研究されるのか

そもそも何で歩行者天国に目を付けたんですか?

内海

歩行者天国を調べている人は多くありません。歩行者天国にまつわる冊子を自費出版したのですが、これはたまたまイベントに誘ってもらい、自分の研究の話をしゃべってたら、歩行者天国の切り口で語ると意外と専門じゃない人にも伝わるし面白がってもらえるとわかったことがきっかけでした。僕は一応建築を専攻していますが、街を作っている要素として建物がメインだとしたら、道路は余白じゃないですか。実はそんな視点が強くあります。

歩行者天国はお祭りだったり日常的にいろんな使いこなされ方をしています。そんな場所がすごく暮らしの豊かさに繋がっていると思っていて。最初は本当にお祭りとかイベントの使いこなされ方に興味があったんですが、そこからもう少し日常的な生活でこの場所がどう使いこなされているか、そこに興味を持って調べ始めたら、すごく面白くて。

例えばこれは大学の近くの通りですが、子どもがスイカ割りをしたり。お祭りでも使うし、結婚式もやったり。こういう様子を見ていて、人の生態系みたいなことを考え始めたんですよ。街の中にはいろんな人が住んでるし、それぞれお互いに隣に住んでることにも気付かないで暮らしているような状態がありますよね。でもそういうものが出会う場所として、道路や公共空間を捉えています。

いま東大の大学院に通っており、修士論文では都市コモンズって言葉を使い、道路が共有された資源だとしたらいかに管理できるか。誰かが不用意な使いかたをすると失われてしまうようなものが、どうやったら保てるかを考えてました。それが歩行者天国の話です。

でもそれをいきなり話してもあまり伝わらないので、ちょっと面白おかしく興味を持ってもらうような本を作っています。例えば歌舞伎町の看板めっちゃいいよねとか、歩行者天国は海外にもあるんだよという感じです。

僕がもともと対象にしていたのは、子どもが遊ぶための歩行者天国でした。そもそも1970年頃に交通事故が多発し、子どもがどんどん亡くなってました。公園の整備が追いつかないから、道で安全に遊べるように工夫しよう考えだったんです。

車が増える前まで、子どもは当たり前のように道で遊んでいたわけです。それを当時公害の問題もあって、道路交通法も改正しています。この道をそういう形で使っていこうって運動があり、それが一部では50年生き残っているんです。

平林

そもそも論で歩行者天国ってよく考えたらすごい名前ですね。

内海

そうなんですよ。

平林

誰がその名前を考えたんですかね。

内海

未だ分からないんですけど、交通戦争って言葉が1970年頃にあり、恐らくこれは戦争に対する天国なんですよ。

平林

そろそろ違う名前になってもいいかもしれないですね。 

内海

そうですね。でも僕はその当時の戦争的な状態を思い起こせるのでいい名前だと思っています。

平林

戦争って意味では、今も昔も戦争なんですかね?

内海

交通事故に関しては昔のほうが酷かったですね。自動車を持つ人が急に増えた時期で。例えばそのころって飲酒運転規制の議論をしていた時代なんですよ。ドライブインでお酒を売る売らない議論とか。あと信号機が必要だとかガードレールは必要かって話をしていた時代です。

平林

本当に整備されてまとまったんですね。

内海

そのころは年間1万6000人以上が交通事故で亡くなっていました。今はもう4000人を切っています。でも車の台数は当時の約5倍になっています。そうするとやっぱり歩行者天国をやるには、世論としては社会的な意味がなくなってきました。いま警視庁が歩行者天国と呼んでいるのは、銀座と秋葉原と新宿だけなんですよ。

平林

新宿もそうだったっけ?

内海

新宿も実は紀伊国屋の前の通りなどでやってます。それ以外の場所は正式には「歩行者用道路」という交通規制、もしくは「道路使用許可」によるもので、慣例的に歩行者天国と呼ばれているだけなんです。こういうところには突撃でインタビューしに行くんですけど、誰がやっているかわからないので、突撃するしかないんですよ。

近くの店にとりあえず行って、歩行者天国をやっている人知りませんかと聞くと、うまくいくと町会長さんとか商店会長さんに繋がります。だいたいみんな何とも思わずやっているんです。ずっとやっているからとか、そこに標識立ってるからとか。たまにこれを始めた時の陳情書がまだ保管されているところがあって、それを見るとすごく胸が熱くなります。

いま子どもが減っているけど歩行者天国は生き残っている。歩行者天国ってすごくたくさんあるのに、みんな気づいてないんですよね。歩行者用道路の標識が立っている場所って、都内23区で5500ヶ所あるんですよ。 このあいだ計算したら、実は一般道路の約1/6が歩行者用の道路です。

使われ続けている歩行者用道路は多くないですが、生き残っているところはなぜ生き残っているんだろうと考えていて。みんな自覚していないかも知れませんが、いまこの場所に、子どもだけじゃない多世代の交流や防災、コミュニティの活性化などもっといろんな意味を自分は感じ取っていて、これを何とか拾いたいと思ったんです。その可能性にほとんどの人はまだ気づいてないんじゃないかと思って。

でも歩行者天国もだんだんみんなの意識で使いづらくなってるんですよね。明文化された規制だけじゃなくて、許容範囲がすごく狭まったり心が貧しくなってるなと。

人が来るエリアづくりで必要なこと

さっき街の中の生態系と言いましたが、自分が建築を勉強していると、場所を作ることをどうしても考えざるを得ないんですよ。でも人の多様性を考えると、ひとつひとつの場所には限界がある。例えば誰でも集まれる場所にしようと言って作ったとしても絶対そこに来れない人もいる。歩行者天国は建物ではないですが、そういう場所の選択肢の一つだと思っていて、例えば歩行者天国には買物をする人や子どもを遊ばせたい人が集まる。

僕は最近銭湯のことも調べてます。銭湯には、家に風呂がないとか、ここでだけ息抜きができるとか何か社会的な弱さを抱えているような人が集まる可能性もある。僕はここ平井の本棚のイベントスペースのリノベも担当させてもらいましたが、他の場所は苦手だけど本屋になら来られる、という人もいるかもしれない。そういうふうに人が拠り所とできる場所が街の中にいっぱいあって、結果的に全員がどこかに救われてたらと思っているんです。

状況が変わって、たとえば災害時の仮設住宅場合は、それがかなり難しい。 そもそも仮設住宅って言ってる段階で住宅しか考えてないんですよね。人が暮らすには本当はお店やもっといろいろ必要なんですけど。だから住宅だけでないいろんな機能を含めた仮設市街地を作るべきだという考え方もあったりするわけです。

平林

ヨーロッパの街は街の真ん中に広場があるじゃないですか。日本はあまり街の中に広場がないですよね。人が自然に集まる場所って言ったら駅前ぐらいしかそれっぽいモノはないわけで。仮設住宅もそこでコミュニケーションがなくなって、それぞれがコミュニケーションロスするよりは、真ん中に広場を作って建物が内側にロの字形になっていればいいという話が、現地で結構上がったんですよ。でもそれをやっちゃうとある人の家は北向き、ある人の家は西向きで平等という観点だと微妙になって。

内海

僕の大学の先生が、仮設住宅を向かい合わせにして、真ん中にデッキを張って屋根をかけると、バリアフリーにもなり、真ん中に人が集まるというような仕組みを考えたんですよね。それでも実現するのにかなり苦労してます。

平林

それはどこでやったんですか?

内海

岩手県の遠野市と釜石市で一個ずつやっています。

平林

でもやっぱりそういう街デザインや住宅自体もそうだけど、住宅やそのエリア、街全体だったりが人間の動きをデザインで以て作れるじゃない。都市デザインがそういうのまでなかなか意識が行っていないよね。

内海

それってすごくデザインするのは難しくて、建物一個でもダメだし、建物の配置だけでもダメなんですよね。偶発的な部分もかなり大きかったりして。 

平林

そうすると例えば女川の街づくりもご存知なわけですよね。あれは特別な感じに見えますか?

内海

そうですね。真ん中にでっかく通りを通してますよね。

平林

女川は防潮堤も作らなかったし、住宅とエリアを分けたり、明らかにほかの街と見え方が違う。 

内海

かなり上手く調整してるのは感じますね。

平林

ポジティブに見えます?

内海

今のところうまくまとまって見えると思います。長期的にそれが上手くいくかは、いまだにいろんな人が頑張っていらっしゃるところですし、ちょっと分からないですが。

いろんなところでエリアづくりは重要な気がしますね。この場所は荒川沿いになるので、荒川が氾濫したら水没すると言われています。建物ってある程度まで水に浸かったら全壊判定なんですよ。続けることが出来るのかは置いておいて、被災の判定としてはそうなってしまう。そうなると、江戸川区の建物のほぼ全部が全壊状態になり得るんですよね。

そうなった時に防災から復興にかけて、人がここに戻ってくるんだろうかみたいな話があったり。何で平井に住んでるだっけと考えてしまう。だから事前にこの街に対する愛着を確認することだったり、地域の活動のネットワークが大切になってくるかもしれない。今そういうことを江戸川区でも考えてみたいと思っています。