ずっと編集の仕事がやりたかった

そもそも編集がやりたかったんですか?

吉満

そうです。大学生のときに編集者になりたくて。母親が本を数多く買い与えてくれた影響もあって、高校生の頃に活字に携わる仕事に就きたいと思っていました。1990年代当時メディアはまだ情報誌含め紙媒体が読まれていて、家にも本がたくさんあったこともあり、その頃の私は雑誌や本を読んでいたんですよね。

大学は文芸学科に進みジャーナリズム論の授業などを取っているうちに、なんとなく発信すること、しかも活字に携わることになると、自分にとっては編集者がもっともなりたい職業だった。大学卒業後20年以上、自分の思いは叶っているわけです。編集の仕事だけやっていますからね。

新卒の際に最初に入ったのは、高齢者福祉施設向けの専門誌の編集部でした。大手の出版社も受け、書類も通っていましたが、今考えればあまのじゃくで、当時は二次面接を全部すっぽかして、福祉の仕事に就きたいと思い始めていたんです。変わりもんですよね。周りには「どうして?」と驚かれました。当時は大きな会社に入ることに対して急に面白味を感じなくなっていた。きっとそんな不遜な考えですから面接を受けても落ちていたと思いますが、その頃は世間のことを分かったつもりになっていたんでしょうね。

でも、その頃ボランティア活動で通っていた肢体不自由者の方が通所される施設の方に、「あなたの場合は一旦外の世界に出てからこっちの世界に戻ってきてもいいと思う」と言われ、何も反論しなかった。本気でやりたかったらおそらく、そこで何か言えたはずなんですよね。でも素直にやっぱりそうかなと思ったということは、私の中途半端な気持ちをその方が見抜いていたんでしょう。だからすんなり軌道修正した結果、先程お伝えした専門誌の編集にアルバイトで入りました。

それから1年経つタイミングで、「DTPを覚えてくれたら社員にする」というお誘いがあったのですが、私は「編集をやりたいから」と生意気言って、その会社を後にすることに。その後は縁あって入社させていただいた美術写真集などを発行する出版社で書籍の編集をしていました。

編集者を目指したのは学生の頃でしょうが、もともと出版社を作ろうと考えていたんですか?

吉満

いいえ。もともと編集さえできればよかったので、出版社を作りたかったわけではなかった。戦略も何もない。本当に正直なところは、仕事を続けていたらこうなっただけです。

編集プロダクションに勤務されていた時期が長かったそうですけど、編プロって大変じゃないですか。

吉満

大変でしたね。でも、そこで雑誌、書籍、広告、WEBという媒体をまたいだ編集の経験を得ることができたからこそ、自分の編集の幅が広がったように思います。そうした経験を生かして、その後中途入社した出版社では、数字で結果を出すことに心血を注いでいくようになりました。

でも、2011年の東日本大震災の後で、自分の価値観が大きく変わっていくんです。さらに翌年に出産したこともあって、頭の奥でガコンと音が鳴ったんじゃないかと思うぐらいに、スイッチが全部切り変わりました。お金の使い方すらも、変わっていったんですよね。

以前の私は、今とは真逆に近いスタイルだった

えっ。逆に震災や出産の前はどんなスタイルだったんですか?

吉満

望月さんはきっとその時の私の事は大嫌いだと思う(笑)。昨日もその話をして笑われたけど、あの頃はヒョウ柄のカットソーを着て、 毎日髪を巻いて、バサバサのつけまつげを付けて、高さのあるヒールを履いて、コンサバな雑誌を読んでいた。

それは全然想像出来ないですね。今の姿と比べ、当時を知っている人は今どう思っているんですかね?

吉満

変わったなとはもちろん思っているでしょうね。たとえば前の会社の後輩が時々ここのカフェに遊びにくるんですけど、口々に「そんなにも出産って人を変えますか? 何があったんですか!」って(笑)。まず当時と服が違う。当時持っていたバッグや服や靴はほとんど捨てました。 

「弱肉強食」をモットーにしていたんですよね。

吉満

はい。恥ずかしい話です。

あのときの私は月に1、2冊のペースで本を作り、電子書籍を含むと、年間27冊前後の本を手がけていた。あの頃の私には、しずけさとユーモアがもっとも遠いところにあったんです。ユーモアってハンドルの遊びだと思っていて、つまり隙間とか余白。でも当時の自分は効率至上主義。ハンドルの遊びなんてほとんどなかった。時間がもったいないからと、私はいつもタクシーの運転さんに対して喧嘩腰だったし、それはそれは冷たかった。

平林

何でタクシーの運転手さんに?

吉満

こっちは時間を稼ぎたくてタクシーに乗ってる。でもそれで道を間違えられたりすると、何のためにお金を払ってるのって。 いや、本当に嫌な女だったな(笑)。

平林

結局、自分が辛くなってくるのね。当時だったら、こういうところに住む発想もなかったですか?

吉満

たとえば、25歳の編集プロダクションに勤めていたころの私は、この事務所に近い、西新井の木造アパートに住んでいたので、別に嫌ってことではないんですよ。ただやっぱり震災直前の頃の私は天狗になっていたんだと思う。

平林

今の座右の銘は何ですか?

吉満

「共存共栄」です(笑)。

 一同大爆笑