きっかけは、たまたま知った2進数

たまたまプログラミングが好きで始まったんですか?

CHEEBOW

そうですね。たしか小学生のときに従兄弟のお兄さんが持っていた数学関係の本があったんです。そこで2進数を知りました。コンピューターはその2進数の世界で動いていると知ったとき、ゼロとイチだけで表現できるコンピューターに興味を持ったんです。

だけど、その当時はスマホもないし、そもそもコンピューターが家にあるところはほとんどありません。でもいつかはそういうことをやりたいと思っていました。そんなとき近所の電気屋さんがマイコンを扱うようになり、週に一度マイコン教室をやってくれました。

僕はもともと体が弱かったんです。中2のときちょっと体の調子が悪くなったときに親が好きなものを何でも買ってやると言ってくれたんで、「マイコンが欲しい」と言ったら、当時親父の月収くらいの金額がしただろうマイコンを買ってくれました。

それでゲーム作りを始めました。音楽も親父が趣味でギターを弾くんですが、これがけっこう上手いんですよ。だから僕もギターが弾きたいと思い、中学生のとき親父に教えてもらおうとしたけど全然弾けなかったんです。だからうちの親父からは音楽の才能がないと言われました。

それがあったから僕は自分で音楽を作るとき、もしダメでも音楽の才能が無いから、こんなもんだと思うことが出来ました。だからあのとき親父に「お前上手い」と言われていたら、調子に乗って音楽の道を目指そうとどこかで考えたかも知れません。

だから、作曲よりも興味は完全にプログラミングでした。ゲームを作るときに音楽をつけたいなと思ったことが作曲のはじまりです。

BGMを付けるような?

CHEEBOW

そうですね。まだそのころはマイコンで、僕が使っていたのは日立のベーシックマスターという機種です。それでゲームを作り雑誌に投稿していました。

作曲については僕自身は別に楽器を習っていたわけではないのですが、家にたまたま妹が習っていたエレクトーンがあり、それを弾きながらゲーム音楽のメロディを作ってました。その当時は今みたいにDTMするためのソフトがあるわけではなかったので、自分でプログラミングして音を鳴らすのが最初でしたね。つまり、僕は楽器を弾くよりも前に作曲することを覚えました。しかもいきなりDTMなんです。

独学ですよね?

CHEEBOW

そうです。それでゲームを作り、雑誌「マイコンBASICマガジン」に投稿していました。ここでは採用されると原稿料がもらえるんです。高校のときには何回か掲載されたので、その原稿料を貯めて新しいマイコンを買いました。

平林

最初に原稿料をもらったときは、おいくつだったんですか?

CHEEBOW

最初は中2ぐらいだったと思います。

平林 望月

すごい

CHEEBOW

作ったゲームにBGMをつけたかったけど、何しろ音楽の授業以外のことはやっていません。でもだんだん音楽に興味が湧き、譜面が読めるようになったらもっと楽しいはずだと、高校に進学したタイミングで吹奏楽部に入りました。入部前に「僕は楽器もできないし、譜面も読めない」と伝えると、「全部教えてやる」と言ってくれたので入部を決めました。

平林

いろんなものの順番が逆で面白いですよね。

CHEEBOW

そうなんです。僕は逆でした。何しろ僕はこの数年前からギターを練習し始めました(笑)。高校で吹奏楽をやったあたりでやっぱり音楽が面白くなってきたんです。そこで大学に入ったら軽音学部に入ろうと思い、アルバイトをしてベースを買ったんです。ベースなら4本しか弦がないし出来るかなって。

大学入学後、僕はオリジナル楽曲がやりたくて軽音楽部に行った際、「オリジナルがやりたいです」と言ったら、すごくバカにされたんですよ。そこはカバー曲しかやってなくて、それは面白くなかったんです。

実はそもそも僕は趣味がいくつかあるんです。その中で小説を書くことも趣味だったので、方針を変えてSF研究会があったのでそこに入りました。そこにいたのが、とんでもないシンセオタクだったんです。部屋の中がシンセサイザーだらけで。それからその人と一緒に曲を作るようになりました。

大学時代、プログラミングに関してはほぼやってないんです。そのころもうパソコンが出始めたんですけど、僕はお金がないからパソコンが買えなかったんです。家にあるのは以前に買ったマイコンだけなので、C言語で何かするみたいなことはできませんでした。

だから学校の授業でプログラミングをやるぐらいでした。あのときは本当に小説と漫画ばかり書いてました。当時ある出版社が小説のレーベルを作り始めたころに大学4年生で、そこで書かないかと編集さんに声をかけてもらい、ずっとそこで出版する予定の小説を書いてました。結局書き終わらずに出ませんでしたけどね(笑)。

逆にそれが良かったんですかね。大学の頃にそっちに振り切っていたのが。

CHEEBOW

そうかもしれないですね。

平林

意外に受け身な感じで生きてるような、攻めのような。どっちかすぐにはわかんないですね。 

CHEEBOW

こうなりたいって夢を追うようなタイプでは全く無いかもしれないです。 僕は40歳を過ぎてから音楽の仕事をやるようになっていたので、いま音楽関係の人と会うと、下積み期間が長かったと思われます。でも下積みをしていたって思ったことはないんです。下積みって最終的に何かになりたいための下積みじゃないですか。

僕は別に何かになりたいものがなく、ただ単に好きでやっていただけの期間が長かったんです。 たまたま運が良く、作曲の仕事も色々話が来るようにはなりましたが。

10年間での作曲数は、100曲あまり

平林

もはや本業がどっちか言えなかったりもするんですか?

CHEEBOW

いや、本業という意味では、お金の稼ぎだとプログラミングです。音楽に関しては、そんなに収入は大きいわけじゃないので副業です。数はそこそこやってるんですけど、単価を低く設定しているので、あまり高い単価の仕事をやっていません。

平林

僕は音楽が好きなんですよ。写真はどうでもいいと思っていて(笑)。音楽で食って行きたかったけど、出来ないからしょうがなく写真をやっているかな。でも音楽に100%になるのも今のご時世では難しい。

CHEEBOW

そうですね。

平林

あと飽きちゃうし。そうやって2割か3割かわかんないけど、音楽が出来たらいいと思っていたから、ちょっと羨ましいです。

CHEEBOW

そうですね。音楽だけやりたいけどプログラマーを掛け持つ人は多いです。ただ僕はプログラマーでやっていこうと思っていたので、音楽に関してはそれを仕事にしようと思ったことがありません。

平林

どうやって音楽の仕事が増えていったんですか?

CHEEBOW

もともと音楽が好きでやっていたので曲は趣味で作っていました。作った曲はネットで発表していました。面白いものでネットで発表しているうちに、いろいろ知り合いが出来ました。

たとえば歌を歌いたい女の子から曲を作ってくださいと言われ、じゃあ曲を作ろうかと一緒に作ったり、いろんな人とやっていました。それを続けていると、いろんなところでやるのが面倒で、自分でネットレーベルを作りました。そこでいろんなアーティストを用意して、コンピレーションCDを作って。

当時ブログが流行り始めた頃に、そのブログ関係で知り合ったWebデザイナーさんから、秋葉原にあるディアステージというお店の女の子に曲を書かないかと紹介をもらいました。

ディアステージは当時で言えばメイドカフェみたいな感じで、女の子たちも普段はお給仕して、ライブの時間になるとライブをしていました。そこはプロを目指すとかメジャーを目指す世界では当時はなかったんです。CDを流通に乗せることも全く考えてないんです。自分たちでCDを作って、その場で売る想定でした。

そのときに何人もの女の子が自分の好きな曲を歌っているオーディション動画を見ました。彼から「この中で誰か面白そうな子はいます?」と聴かれ、みんないわゆるアニソンみたいな歌い方をする子が多かったんです。

でも1人だけ他の子とは違った面白い声で、選曲のセンスも変わった子がいました。その選曲も当時僕がすごく好きだった電波系の音楽でした。その子が夢眠ねむちゃんです。元でんぱ組.incのメンバーで、最近はバカリズムと結婚して話題にもなりました。

じゃあと夢眠ねむちゃんに「魔法少女☆未満」を書きました。これが割と評判が良く、そうしたら今度ディアステージの中でまたアイドルグループを作るんで、曲を書いて欲しいと言われ、書いたらまた評判が良かったんです。

その後そこでプロデュースをしていた人が独立して会社を作り、そこからまた流れが出来ました。そうしていると他のアイドルグループの運営からも、うちにも書いてと依頼が増え、それをどんどんやっていると北は北海道から南は沖縄まで、全国のいろんなアイドルさんに書くようなことになり、10年で100曲あまり書きました。

平林

詞も書くんですか?

CHEEBOW

基本的に詞は書きません。詞は当時まだ音楽の仕事をはじめる前に、ネットで一緒にユニットを組んでいた人が書きます。彼女が基本的に歌詞を書いて、僕が曲を書く。僕はギターが弾けないんで、ギターはまたギターを弾いてもらっている人がいます。だからほぼ三人で作ってます。ギターに関しては基本は僕が打ち込みで作った曲を渡すと、ギターパートだけ録音されて戻ってきます。そのギタリストは今はもう自分の会社を作りましたけど、LINEにいた「nipotan」というプログラマーなんですよ。彼も週末だけギターを弾いていると思います。

仕事の拡がり方も今っぽいですね。

CHEEBOW

そうですね。そういう感じで拡がり、いろんな依頼がこの10年は来てますね。

究極のプル型ですね。

CHEEBOW

そう、だからありがたいですね。あまり営業はしたことがなくて、依頼が別に来なければ来ないでいい。ただ音楽のお金が入ると機材が買えるんです。音楽で入ったお金は音楽で使うことが出来ると決めています。だから、音楽制作で入ったお金を音楽に使っています。

なるほど。 

CHEEBOW

そうだ、入金があったからあのソフト買おうとかね(笑)。 

でもいいですね。必死に売り込むよりは。これまでに出来た曲が名刺代わりになりますもんね。

CHEEBOW

そうですね。ありがたいことにいくつか「刹那ハレーション」など代表曲ができました。要はその世界だと誰でも知ってる曲が5曲ぐらい作れたので、その力はかなり大きいです。印税がそんなに入るわけじゃないんですが、そのグループが解散しても残る曲もあるんです。ずっとカバーされ続けているような曲もあります。

平林

カバー?

CHEEBOW

他のアイドルグループがずっと歌ってくれているんです。

平林

十中八九では、今までそれぞれすごい方にあって話を聞いてるんですが、どうやってそこまでたどり着いたか話を聞いていると、たまたま流れに沿っていくとこうなっていた的な話が多いんです。

CHEEBOW

そうです。全くがむしゃらに行くようなタイプではないです。