丹波は面白いんですか?

丹波はいま仕掛ける人が多すぎてめっちゃ面白いです。最初は地域の人たちも面白いことがなんにもない街だって言うぐらいの何にもない街だったんですよ。ちょこちょこ商工会の人たちもイベントをやっていたんですけど、おそらく退屈なイベントばっかりやったんですよ。でも最近商工会のイベントもすごく面白くなってきて、もともとからある街のイベントもおもろなってきました。

こっちもきっかけとしてイベントを仕掛けてきたことはあるけど、連れてきた移住者の人たちが新しいことを放り込んだりしながら、感覚が新しくなり面白くなっていったのかなと思います。そうすると、どんどんそういうことをやってもいいんやって空気が出来てきて、お前もそんなんやるの?みたいな人たちが増えて、周りの人も少しずつ取り組むようになってきたように思います。

僕らも驚きますけど何よりも彼らの同級生らが驚くようになって。お前がやれるの?じゃあ俺でも出来るんちゃうと。要はちょっと小馬鹿にしていたり、自分と同じぐらいと思ってたぐらいの人たちが、真面目にオモロイことをし始めると、俺だってやれるし!みたいな感じで、若干の嫉妬と対抗心みたいなものが出てきたんです。相乗効果のいい感じの波に乗ってきている感じが街の中にあります。

もちろん地域によってもノリは全然違うと思います。ずっと平坦なところもあるし、うちの街は確実に変化していますね。割合でいうと関西圏のほうが動きはいいかも知れないですね。島根や鳥取まで行ってしまったほうが過疎地も多くなってきているので、やろうと覚悟が決まっている人たちがけっこういます。僕の友人の取り組みですが山口の小さな島で起業家がめっちゃ育成されている島があるんですよ。

東北はお金とか放り込まれて、ちょこちょこ動いている地域もあることはあるんですけど、実際に移住する人の割合は少ないみたいですね。それは良く分かりますね。そのお金があったから動いたけどそうじゃなかったら行かなかった人たちの量が多すぎるのはもったいない感じがしましたね。お金がなくなるとシンプルに帰ってしまうんですよね。

地元の人たちもまた、今までやってこなかった新しいことに触れすぎて疲れちゃうこともあるようですね。失敗したくないし、気持ちが優しいからすごく一生懸命おもてなしをしたり準備したりしようとするんですよね。失敗がでけへんという不安に対して、それもそれでいいよねとしてあげないといけない。完璧にいつも100%を目指そうとして、ぎゅーって力が入って、ボンっと疲れてしまうわけです。

失敗って怖いんですよね。田舎っていうのは噂が速く、SNS以上の速さで広まるなんていう話もあります。え、もう知ってるのみたいなことが多いんですよね。それを敏感に察知しすぎると辛い。そういう地域もけっこうありますね。

僕らが丹波で企画をやっていてすごく励みになっているのは、協力者が多いことですね。もう8年ほどお寺で企画をしてみんなで喋っているんです。ただお寺でしゃべるだけなんですけど、不満とか不平とかぽろぽろぽろぽろみんな喋りはじめて、それも良いよなんて言って、全部受け入れていくと自分の逃げどころとか、日々のコミュニティの中から少し抜けれる場所を作ってあげられるようになったみたいなんですね。

お坊さんやお釈迦さんの前だからやっぱり正直なことを話してくれるんでしょうか。それを全部受け止めるんで、ここでいいんだ、こんなふうに生きていいんだみたいなことから、自分の居場所を持ててそれでスッとした人たちが元気に動き出したことはありましたね。

ボウズカフェという取り組みなんですけど、もう少しで90回目ぐらいですね。丹波で月1回やって8年目になるんですけどね。これはすごく自慢の取り組みですね。

やっぱりインドはすごかったですか?

この前初めて行きました。インドに行ったときにみんなにインドに呼ばれたねって言われたんですけどね。「何言うてんねん、俺が行くって決めたんやし。」と思ってましたけど、行ってみたら「あ、これ呼ばれたんやわ」って思いましたね(笑)。ほんまに呼ばれたと思いました。びっくりしました。行く場所行く場所すべて聖地で、「え、ここも聖地やったん」みたいな。インドの聖地に詳しい友人に聴いたらそんなに聖地はないって言われたんですけどね。

基本的に南インドのクンバコーナムなど、タミル人がいるあたりに行きました。そこでまず寺院でひととおり礼拝をしたあと出会う人に導かれるままにいろんなところに行ったんですけど、全部行っている場所がヨガの聖地だったり、あとひとつ聖山がすごかった。

そこにはすごい名言があって、「チダムバラムを見ることにより、ティルヴァルールに生まれることにより、カーシー(ヴァラナシ)で死ぬことにより、あるいは、ただアルナーチャラを想うことにより、人は必ず解脱を達成するだろう。」

これ、その山だけは想うだけでOKなんです。何そのチート、ホンマにヤバいと思って。それぞれで生まれたりせなあかんかったり、暮らさないとダメだったり、そこに死なないといけないとかあるのに、その山だけ想うだけで輪廻終了みたいなスーパーな山なわけです。そこの山に裸足で登る業があって、裸足で登って帰ってきたんですけど、めちゃくちゃ良かったですね。

インプットめっちゃ多かったですね。インドは神様みたいな人と悪魔みたいな人が一緒の場所でチャイを飲んでいる、そんな国だと思いました。すごく極端な国。スーパー天才とスーパーアホが存在するような。一生分かり合えない人と、目を合わすだけで全部分かっちゃうみたいな人がもう混在しているそんな街やなと思いました。インドは寛容ですね。最終的にはガンジス川に流しちゃえって感じが強いですね。

インドは好き嫌いがはっきり分かれるけど、僕は大好きでしたね。価値観はそれぞれなんで相容れないものもあるんでしょうけど。それこそインドと中国の国境にはブータンという国があって、僕はブータンに2回行っているんですけど、ブータンも寛容なところがあって良いですね。

僕はけっこう仏教が好きなんですよ。もともと仏教が生まれるルーツはバラモン教があってそれとヒンドゥー教、土着宗教が基本的には展開されていたようです。バラモン教は基本的にブラフマンがいて、バラモンの下にクシャトリヤがいてというカーストがあります。仏教はそこをそんなん言わんでもいいやんと、このバラモン教の中のすごい大事なエッセンスを引き継いで仏教が生まれたようなところがあるのだと感じました。

実際はブッダが仏教にしたわけじゃないんですけどね。ブッダはただひたすら自分が楽になるための方法を悟りの中に見出し、この考え方を取り入れて楽に生きていきなよ、と言っただけなんです。でもそれがあまりにも良かったんで、ブッダの弟子が宗教にして広めようぜと体系化してバーって広めたのが仏教なわけです。だからブッダは宗教にしてくれってこれっぽっちも頼んでないんですが、結局そういう感じで拡がっていきました。

その仏教のオトンオカンみたいな存在がインドの土着宗教でした。仏教がどこから起こったのか信仰の理由みたいなところを、インドに行ったときの空気、行って手に入れた書物や体感を全部振り返ったとき、それがストンと腹に落ちたわけです。インドに漂っている信仰の概念がすごく自然な感じで、それがすごく良いなと思いました。

またインドはお金持ちになった人たちも必ず寺院に寄付をするらしいんですよ。大きな家は建てたりもするみたいですけど、余ったお金を全部自分のところに放り込むかと言えばそういうことはなくて、けっこう寺院にバンバン寄付していくんですよ。それが自分のカルマの解消になるってことを小さい頃から文化的にインストールされているので、彼らの寄付に対しての信仰って宗教から来ているところにおいては、すごくいいなと感じました。

ボウズカフェはどんなメンバーでやっているんですか?

禅宗の曹洞宗のお寺でたまたま二人仲良しのお坊さんがいます。その人たちと墓石屋さんとあと仏教好きな何人かと7人ぐらいでやっているんです。二人ともむっちゃ陽気なお坊さんで1人は元ラジオのパーソナリティもしていて、今は街づくりのコーディネーターみたいな仕事をしているお坊さん。もう1人はひたすらイベントに協力的なお坊さんで、下世話な話とか下ネタとか言いまくりなんですよ。愚痴もめっちゃ言うし(笑)

本当に二人とも度量の広い二人でだから目線を一般の人に充分に合わせてくれていて、俗世に生きるすごく等身大のお坊さんですね。だから形式ばっている話なんてどこがいいんだと思うし、みんな平等だって話でいいと思うんです。なかなかみんな階級を付けたがるんでね。それは同じ失敗をしたくないからだと思いますね。

僕は、誰もこの世の中で誰かが責任を取らなきゃいけないってことは、ほとんどないと思っています。ごめんと言ってどうしようもならん場合は死ぬしか選択肢はないわけやけど、最後は死んだら終わりなんですよ。死ぬっていう最終手段を自分の元に持っておけば大抵のことは謝ることで済みます。結局謝るか嫌われるかですよね。嫌われて去られたら二度とその人と会わなくて済むのでそれはそれで楽なことですよね。

どうやって自分の余白を生み出してますか?

余白を潰しているのは誰なのかなって気がしますね。僕は余白を潰しているのは本人だと思っています。本当は持っている余白を、本人が自ら無いものとして捉えてしまっているんじゃないかなって。例えば時間的な余白でいうと、一日の中で忙しいと言っているけどYoutube見てたやん(笑)みたいな。その時間余白やんとか土日がしんどいから寝てたとか。平日の面白くない時間をなしにしたら、そのしんどくて寝ている土日が余白になったやんみたいな。

これも捉え方なんでね。それってなんか心地よく生きるためのやり方が下手なんですよね。結果自分の余白を全部休息・回復のために使わないといけなくなる。要は漫然と時間を過ごしていることに結局のところ自分が使えるための余白を良く分からないスマホゲームに潰しちゃっているとかね。

やりたいことがあるんだったら、その余白を使えばいいんじゃないのって僕は思っていて、そのなかに出来ることはいっぱいあるような気がしています。ちょっと時間あったら僕はサウナに行こうと思ってます。日中時間空いちゃったからサウナ行こうみたいな感じで(笑)。

僕にとってはそれこそ余白が出来たらサウナに行って心を整えて、心に余裕を作って、人がどんなネガティブな気持ちを持っていても大丈夫やでって言ってあげられるような準備をしておくつもりだし、それこそ僕の時間の作り方として余白を作る。だけどいっつもぽっかり空いているので暇なんですよね。暇やからちょっと相談乗ってと言われたら、「ええよ、暇やから。いまちょうど相談に乗りたかったんや。」と言って相談に乗っている感じですね。

この先どんなところへ向かっていくのか予想がつきません。

最近それを良く聴かれていて、それを答えるのが楽しみなんですよ。いつも言っているのはもう着いているって言ってるんですよ。もう着いてんねん、ここに到着したと。到着してここなんやって言っているみたいな(笑)。もう行きたいところはなくて、ここにおるねん俺みたいな感じなんですよね。

だから行きたい場所を目指すってことはあんまりなくて、ただ確実に言えるのは、この居場所にいたら何か一緒にここ行きませんか?と言われるので、それは行くみたいなスタンス。だって一緒に行ってくれと行ってくれているから、それは行きたいわみたいな。

最近の僕のすごく大事にしている価値観は積極的に受動すると言ってます。能動的に動かないんですよ。受動的に動くんやけど積極的なんですよね。何か来たら即やる、みたいな。「横田さんこれや…」「絶対やる!」みたいな感じで。食い気味でね。あ、闇営業はしないです(笑)。闇営業の依頼とかそもそも来ないしね。