富ヶ谷にある美味しいパン屋

城戸

実は美味しいパン屋がある街はいい街だって噂があるんですよ。

遠藤

すごい!いい話!全くその通りですよ。

城戸

はい、全くその通りだと思います。

遠藤

パンはそうですよね。私は、富ヶ谷のルヴァンでパンには目覚めたんですよ。開店当初から知っているのは、南青山に当時アスキーがあってお店の前をバイクで通っていたんです。当時、私は、阿佐ヶ谷に住んでいたんでバイクで井の頭通りから通っていた。前を通ったときに朝4時ぐらいから電気が点いているから、最初は豆腐屋? と思った。あるとき気になったから行ってみたらパン屋さんでした(笑)。

城戸

僕も東北沢にオフィスがあった頃はルヴァンさん近かったので、井の頭通りを歩いてたまに行ってましたね。懐かしいです。

遠藤

そうですか。昔のルヴァンのパンは硬かったんですよね。今はたぶん社長の歯が弱くなったからだと思うんだけど、だいぶ軟かくなってきましたね。オーナーの甲田さんとお話をしているとパンについての考え方というものがガシッとある。そのとき教わったところによると、パンの歴史はメソポタミアとかエジプトまでさかのぼるのに食パンみたいないまのパンは100年かそこらしかたってないそうです。それを聞いたのが30年ぐらい前なんで、130年ぐらい前なんですけどね。他ジャンルの人と少し突っ込んだ話をすると学びが多いじゃないですか。しかも、天然酵母パンを自分で試行錯誤してとりくんでいる。はじめの頃、ルヴァンに行くとガリ版みたいな新聞の機関紙が置いてありました。やっぱり、あれは運動だったんですよね。ルヴァンも。

デザインへの欲求とコンピューターとの出会い

城戸

『月刊アスキー』の編集長だった遠藤さんとパソコンの話をしてみたかったのですが、いかんせん僕の専門外なのでどうしようかなと思いつつ、その中でもアップルとかMacの話なら長く仕事や趣味に使ってきているので多少はついていけるのかもということで、唐突な展開ではありますが、アップルのデザインについてご意見はお持ちでしょうか?

遠藤

私が最初に買ったパソコンは、アップルコンピューターの「Apple Ⅱc」なんですよ。フロッグデザインが手掛けたものですね。アップルのデザインに関しては、ある意味ふつうにいいデザインであると思います。方向性として自分たちがカッコいいと思うものを作る。そんなに尖っていないんじゃないですかね?

城戸

そんなに尖っているとは思っていないですか? ちなみに、初期の頃のアップルのデザインは本当に素敵ですよね。フロッグデザインはアップルと「Apple Ⅱc」や「Macintosh SE/30」をデザインして、ジョブズがNeXTをつくったときにもいっしょに仕事してますよね。

遠藤さんが購入された「Apple Ⅱc」が出たのは1984年ですが、この年はアップルが初代の「Macintosh」を発表した記念すべき年です。僕は中学生だったでしょうか。パソコンはまだかなり高額だったですが、マニアの人以外でも時代の変化を感じ始め、ここから本気で普及していく流れになりましたよね。僕自身、ショーウィンドーで当時断トツでカッコよかったアップルのパソコンを見つけて、「欲しい!」という感情が反応したのを思い出します。パソコンのスペックがどうという以前に、デザインと時代の流れのストーリーだけで「欲しい!」と反応させられていたわけです。デザインの力は偉大ですね。

アップルに関しては初期のジョブズが若かった頃はもちろん、ジョナサン・アイブがデザインに関わるようになってから最近までも、自分たちがカッコいいと思うモノをつくろうとする姿勢については、同じ方向性で一貫しているように感じます。ジョブズが亡くなった後のプロダクトでは、若干「あれ?」と思うことがあったりもしますが(笑)。アップルはユーザーが望む製品をつくるというよりは、新しい世界観を打ち出して自分たちの美意識を広めていくイメージで、マーケティングとしては尖った印象もありますが、遠藤さん的にはデザインとしては尖っていないという印象ですか?

遠藤

いい意味でそんなに押し付けたデザインではないと思うんですけどね。アップルのデザインに関しては。普通によいですよね?

城戸

たしかに、アップルのデザインはあからさまに押し付けることをしてないですね。目指して「普通によい」をつくっている感じです。どんな空間にあってもスッと馴染むこと、触るとしっくりくること、使うと快感があることが、「普通によい」ことですし、それはデザインの本質を極めることでもありますね。実は、僕も初めて買ったパソコンがアップルなんですが、しっくりきたという理由だけで洗脳されて、30年もユーザーを続けてしまいました(笑)

遠藤

コンピューターというジャンルにはあまりにダサいメーカーがほとんどですからね(笑)。ほかがダメ過ぎる。

城戸

ほとんどのメーカーはそのモノ自体に閉じた方向でデザインを決めていますね。スペック競争が激しい業界でもありますし、カタログだけでみるとアップル以上に魅力的なパソコンメーカーはたくさん出てきます。でも、空間に置いて悪目立ちしてしまうんですよね。それで買う気が失せてしまう。本当は自己主張があるんだけど、他と調和するような方向にもさりげなく処理しておくことがデザインとしてカッコいいと思うのですが、そういうところにちゃんとコストをかけたモノづくりを誰もしてくれないですよね。

コンピューターもそうなんですが、デザインがダメ過ぎるといえば家電なんかも気になります。僕は仕事で住空間を提案したり設計したりするのですが、どこにどんな家電が置かれるかをこちらの判断で決められない場合に、引っ越しで冷蔵庫や電子レンジ、エアコンなどが設置された段階で「あれ?」ってなっちゃうことがあります。特に日本のメーカーがつくる家電の多くは悪目立ちするデザインで、ダサいと思いますね。

遠藤

どうしたらいいと思いますか? そういうデザインに対しての運動を起こしてくださいよ。運動というよりはちゃんと思想化すべきところですね。それはすごいじゃないですか。家電のデザインはダサすぎるからやめてくれ。それを、生活空間側の立場から言うのがよいと思います。これ、本当に運動としてやってほしい。

それで思い出すのは、ThinkPadのデザインをやられていた山崎和彦さんが、日本では、学校で美術は教えるけど、デザインはきちんと教えていないと言っていました。デザインは美術より一段下に見られているみたいな話なんですね。単品で美しければいいかというと、デザイン家電とか部屋の中では浮いたりしちゃいますよね。そこまでは、教えないですからね。

同じような話で台湾人のほうが日本の昔の映画、小津安二郎の『東京物語』とか見ているらしいんですよ。それはなぜかと言うと台湾では学校で小津の映画を教えるというのですね。日本の学校の教養レベルでは小津安二郎の作品は教えないですよね。総合芸術、第七芸術と言われる映画というものが日本の教育システムのなかではきちんと出てこない。日本ってそれが変わってないんですよね。

城戸

日本の学校で教えている教養というのは、古くから権威とされている学術的な知識を持つことが重要って感じなんですかね。いわゆる学校では学術的なものだけ重んじるって感じなんですかね。

遠藤

でも映画も新しいってだけで芸術であり、学術たりえるものですよね?

城戸

学術と思われてないんですよ。新しいジャンルや要素を取り込むことで、既存の枠組みが壊れたり広がったりしてモノゴトが成長していくという意識が低いのかなと。

遠藤

それは日本のあらゆる部分で見受けられますね。経済学者の野口悠紀雄さんが、東大で金融工学の新しい講座をはじめようとしたらあまりに大変だったと言われていました。いまや金融は最先端のコンピューターサイエンスが前提条件の1つといえる時代なのにですよね。

城戸

東大ですらそうですか。だから、日本の金融工学は欧米に10年以上遅れていると言われてしまう状況があるんですね。そう考えると、様々な分野で教育をデザインし直す必要がありますね。先ほど遠藤さんがおっしゃったことと関係しますが、デザインが美術と違うところは、「自分らしい表現」を求めるだけではダメで、「社会とつなげていく」ことを意識しなければならない点ですよね。

そういう意味で、デザインはモノと社会とのコミュニケーションでもあると思うんですよ。ですので、外観も重要ですが、コンピューターでそれがもっと具体的に表現されるのがソフトウェアのデザインかもしれません。初期のアップルに関しては、ソフトウェアのデザインも秀逸だったように思います。初期のアップルで地味に好きだったのがMacの起動画面です。確か正月になると「あけましておめでとうございます」って表示してくれてたんですよね(笑)

遠藤

私は、やっぱりAppleはショックでした。Apple Ⅱcを買おうと思ったのは、友人が持っていたAppleのソフトをいろいろと見て自分でもやりたいと思ったからなんです。だいたい83年から84年くらいに、パコソンでやれることというのは試み尽くされているんですよ。たとえば、音楽をやりましょうとういことでヤマハがやっていたし、ソニーはビデオをコントロールしましょうとか、エプソンはその後のノートPCサイズのコンピューターを出したり、腕時計型があったり、ロボティクスなんかも米国でさかんでした。「パソコンで何ができるか?」ということに関して業界全体が頑張っていた。

そういう時代にApple IIというのは、ソフト自体に先進性があった。2階+屋根裏部屋の家に住んでいるオヤジを観察するだけの「リトルコンピューターピープル」とか、「ファンタビジョン」というきわめて簡単に派手なアニメーションが作れるツールとか、「Robot Odyssey II」というビジュアルプログラミングゲームだったり。本当に人間の能力を拡張する感覚を味わえる機械でした。少しも大げさではなく、いま「すばらしい」とか言われているソフトがバカバカしくなるほどのインパクトがあった。

私は、そうしたソフトウェアで何が動くかということと、パソコンのデザインの話が地続きになっているような感じがするのですよ。外側のデザインだけは語れないものがある。ソフトウェアを使う道具としてのコンピューターのデザインというのは少し特別な部分があると思っています。

城戸

パソコンが普通に普及するようになって、それを使ってデザインをしてみたい欲求はすごくありましたね。

遠藤

たしかに、ましてそのコンピューターで今度はデザイン自体をするというのがありましたからね。城戸さんご自身、デザインの仕事をされていたのですか?

城戸

僕自身がデザインの仕事でパソコンを使い始めたのは2000年代に入った30歳過ぎてからです。建築とインテリアの設計のためにVectorWorksというCADソフトをMacに入れました。ただ、パソコンを使い始めた20歳頃に最初に熱くなったのは、パソコンで曲をつくることでした。バンド活動をしていたこともあって、モニターを見ながらシーケンサーを操作してMIDIで電子楽器が自動演奏できることに大興奮したのを覚えています。パソコンで音楽をつくるのもデザインと似た作業かもしれません。

遠藤

コンピューターで音楽といえば、アタリも使われていたんじゃないですか?イシバシ楽器にアタリのコンピューターが並んでいて、それがだんだんMacになってすごい期待感のあった時期わかります。

城戸

僕はアタリは買っていませんが、MIDIが内蔵されていてリズム感が良いということで音楽関係で一時期流行ってましたね。デジタルレコーディングとかサンプリングとかがパソコンで出来るようになってきたり、これから誰でもプロレベルでモノづくりができる時代になるんだな~と夢が広がって、ワクワクした時期がありました。

遠藤

コンピューター系は音楽と相性が良いですよね。音楽の人たちは早くからすぐやってましたよね。

城戸

シーケンサーでの曲づくりが本当に面白かったですよ。これによってお金がなくてもスポンサーがいなくても(笑)、センスだけでかなりのクオリティが出せるようになった。

遠藤

「Acid Music」が革命的でしたよね。本当に音楽がセンスさえあれば誰でも作れるようになった。

城戸

ドラッグ・アンド・ドロップで作曲が出来ますからね。

遠藤

90年代半ばの音楽ソフトはそれによって大きく変わりしましたね。それまで音を1個1個おいていかないといけなかったのが、絵筆をふるうように曲を作れるようになった。打ち込みや音楽的な資質が必要だったのが、一気に解き放たれた。

城戸

リアルにセンスだけでもいける世界になりましたもんね。でも実はある意味、それってより高度なレベルを要求される世界なんですけども。

遠藤

なるほどそこは重要ですね。音楽のセンスは、いよいよ求められる。しかし、それがあればDJで頑張れるみたいな感じで曲が作れるようになった。

城戸

素晴らしいです。それはもう民主化であり、革命ですね。

遠藤

残念ながらね、プログラミングとかコンピューターグラフィックスの世界にはそういった一大変革は起きていないんですよね。音楽は、その後まさに音楽素材を提供していたクリプトン・フューチャー・メディアという会社から「初音ミク」が出てきていよいよ変わりました。

設計もある種のプログラム

遠藤

その頃の仕事は何だったんですか?

城戸

音楽をやっていた10代から20代前半の頃はこれと決めた仕事はしてません。音楽を仕事にしたかったしサラリーマンというガラでもなかったので(笑) アルバイトは、肉体労働、配送業、接客サービス、飲食、テレアポ、訪問販売などなどいろいろやりました。20代半ばで音楽には人並み程度の才能しかないと見切りを付けて、いったんサラリーマンになってみました。ベンチャーでどんどんお店を作って拡大させていく仕事です。割と早めに複数店舗エリアのマネジメントを任されるようになって、マーケティング、スタッフやアルバイトの教育、新規店舗の立上げ、新しい業態のプロデュースなど、いろいろと経験しました。

遠藤

それさっきのコンピューターのデザインとその中のソフトウェアの関係と凄い近いところの話じゃないですか。形や姿のデザインではなくて、ハードウェアとしてデザインされたお店にソフトウェアとして人が来てなにかやるという話ですよね。

城戸

まさにそうですね。見つけてきた不動産の箱に対して、どのような動線を設計すればより効率的にサービスを提供でき、より売上が上がる店舗になるのかといったことを、多角的に議論しながらデザインを検討していました。

遠藤

それってプログラム的ですね。

城戸

実際にそういうイメージで仕事に取り組んでいました。プログラムを書き換えることで価値を高めていく作業が楽しいと思ったので、30代になって自分の会社を立ち上げたときもインテリアをデザインする会社をつくることにしたわけです。一応、建築の設計事務所という体裁にしたのですが、建築のハードをつくることよりも、早くから建築にプログラムをインストールし直す作業としてのリノベーションに比重を置く活動をしていました。

建築という一個の箱をつくることよりも、その中で生きていく人の物語に興味がありましたし、逆にもっと大きい枠でいうと、自然から与えられた地球というハードの中でどのような都市をつくって人々が暮らすべきかを考える都市計画にも興味があります。単体の建築だけをテーマにデザインを考えるのは、僕にとって距離感が中途半端で面白みに欠ける感覚があって、もっと大きな都市計画ともっと小さなリノベーションというところにテーマを持っていきたかった。

ある程度の設計経験が貯まってきた2004年から不動産部門も併設し、「スマサガ不動産」というWEBサイトを立ち上げ、やりたかったテーマを強く打ち出して、リノベーション会社という方向に舵を切りました。当時、日本ではリノベーションという言葉がまだ一般的ではなかったですし、特に住宅というジャンルにおいて中古物件は価値が低いと思い込まれていましたから、インテリアや設備を再設計して価値を再生するというプログラムを伝えるだけで、かなりのインパクトがあるプレゼンテーションになったと思いますね。

遠藤

なるほど。お店のプロデュースの延長でそういう設計をしたりとか。いまも店舗の設計とかしているんですか?

城戸

店舗の設計は楽しいので頼まれれば喜んでやりますし、最近もある天才的なパティシエが北参道につくった「おかしやうっちー」という名のお菓子屋さんをプロデュースしました。ですが、スマサガ不動産で最も多い問い合わせは、マンションや戸建ての住宅をリノベーションすることと、中古物件を購入するための資金計画から購入後のリノベーション設計を含めたワンストップで相談に乗ることです。

遠藤

じゃあお店の動線を考えるみたいな話よりは、すでに在るものに対してどういった価値を付けるといった意味では解釈がまずは必要ですね。

城戸

解釈とか価値を見つけるという作業が楽しい。

遠藤

おお〜。いいですねー。

城戸

それもある種サブカル的な感覚だと思うんですけど、いたずら心みたいに、他人がまだ気づかないところで何か面白いものを発見して狂喜乱舞している感じです。

遠藤

なぜこの扉と棚はこうなっているんだ! というようなものですよね。

城戸

そうですね。そこに価値があるんですよね。でも、解釈することで生まれた価値なのでネタを発見した瞬間はある種のオタクにしか伝わりません(笑) そんなオタクネタを万人に価値として伝わるようにプログラムの再設計を行うのですが、その作業が面白くて、そこに知的な興奮を感じますね。

遠藤

どんな世界にもあると思いますが、解釈してそこから手を動かす。しかし、解釈がまずは楽しそうですね。

城戸

解釈することが一番楽しいですね。何かが起きるんじゃないかっていう解釈を面白がるっていうのは、若干オタク的な要素がありますね(笑) 実際、リノベーションとはそういった解釈による価値の転換を起こすことそのものだと思うんです。

遠藤

例えばどんなことが起きるんですか?

城戸

もともと価値がないと思われていたものを価値があるようにするわけなんで、いろんなプログラムを考えます。そして、いろんなことを起こします。

基本的なことでいうと、70㎡で3LDKという普通によくある間取りのマンションは、築年数が古くなると陳腐化して、よくあるパターンがゆえに新築と比較されてあまり魅力的ではなくなります。そこで、壁を取り払って空間に抜けをつくり、いわゆるスタジオタイプのワンルームのように広くてフレキシブルに使える間取りのプログラムに書き換えてみます。そうすると、日本に流通している物件で他に比較されるモノがなくなって、そこに競争力が発生します。その上で、ニーズがある層にリーチするインテリアの質感や設備のグレードを想定してデザインを更新したり、あるいはユーザーとデザインを共創するなどで、全く新しい流通に乗る価値が創出されます。他にもいろんなパターンがありますが、例として。