高校時代は赤髪だったということを知り、驚きました!

当時は赤髪にピアスで高校にもあんまり行ってなかったですね。岩手の田舎に住んでいたので、信号無視したくても信号がないんです。だから、そんな身なりでもグレようもなく、ぶっちゃけ万引きしたくても万引するような店もないですし(笑)。高校時代はなんかつまんなかったし、時間を持て余してましたよね。学校へ通学してこのまんま何時間もここにいるのかと思うと、それが何だか嫌だったんですよね。だから、学校へは行くだけは行くんですけどすぐ帰ったりしてましたね。

実際、田舎が悪いわけじゃないんですけど、東京に出てきて思ったのは、田舎には選択肢がないってことですね。例えば自分の出身の村で、藤井聡太みたいな将棋の才能を持った子が生まれたとしても、周りに将棋を教えるような人もいないので、それを伸ばす環境がないんですよ。だから都会と比べると特に文化的なものですごくハンデはありましたね。

都会の人、ましてや芸人になるような人は特殊なんで、例えばだいたい思春期にはみんな映画を見ているわけですよ。僕らの世代でも黒澤映画を見てたり、ローマの休日のような名画を見ていて、演劇も観ているわけですよね。唐十郎の芝居だったりテント芝居だったり。第三舞台を普通の暮らしをしていても観ているわけです。小説も太宰治の著作を読んだり、普通にドストエフスキーを読んでいたり。

僕の住んでいた田舎でも、小説や映画は、本やビデオを取り寄せたら何とかなったんでしょうけど、まず田舎では生の舞台を観ることが無理なんです。僕はそれまで落語を知らなかったんですよ。ダウンタウン世代なので、当時から人を笑わせるような仕事に就きたいとは思っていたんですが。

だから本当は漫才とかコントがしたくてNSCに入ろうと思っていたんですけど、高校3年のときに芸術鑑賞会という催しがあり、授業の一環で落語を見ることになったんですね。この催しは他にも能や狂言、歌舞伎も見せるんですけど、僕らの代のときは、たまたま落語を見るタイミングでした。そこで生まれて初めて落語を見て、僕の師匠である桂歌丸の師匠の桂米丸の落語を聞きました。その落語は新作落語だったんですよ。

その噺の内容は、お婆ちゃんがちょっとボケているんですが、相撲中継を見ているシーンで「では今の取り組みをビデオテープでもう一度」とアナウンサーが言うと、横にいるお婆ちゃんが「今度は負けるな!」って。これが面白くて、身近で新しかったんですね。それまで落語は、おじいちゃんがダジャレ言っている古臭いイメージしかなかったんで、こうやって現代の話題で落語をやっていいんだと興味を持ち、いろんな落語を見るようになりました。落語は探せばテレビでもラジオでもやってましたし、小遣いを貯めて東京へ寄席に行ったりもしました。

落語を知ったきっかけの桂米丸師匠に「落語家になりたい」と手紙を書くと、卒業式の前だったんですが「一回話を聞くから東京へ出てきなさい」と電話があり、東中野の米丸師匠のご自宅に伺って相談しました。

そこで本気だったら話を聞くってことで「自分の弟子の歌丸さんを紹介しよう」と言われました。真打ち昇進までにその人の師匠が生きていないと、師匠が亡くなった時点で他の師匠のところへ行かないといけなくなる。米丸師匠から「君が真打ちになるまでに15年くらい掛かるし、僕はもう歳だから(米丸師匠の弟子の)歌丸師匠を紹介する」ということでした。紹介するまでもエピソードがあって、米丸師匠とおかみさんが台所で話をしているんですよ。米丸師匠は一番弟子が歌丸で、二番弟子が隣の晩ごはんでおなじみの米助師匠なんです。「歌丸さんがいいんじゃない? いや米助がいいわよ」って。そうしたら最終的に「歌丸さんが良いわよ」って言ってくださって、米丸師匠がうちの師匠に話を取り次いでくださって歌丸門下で入門が叶いました。

後先考えずに入門される勇気がすごいと思いました。

そうなんですよね。若さなんですよね。今の自分の性格だったら師匠のお宅へ伺う前に本当に調べて調べてじゃないと行かないです。でも当時はまだ10代だったので若さで行っちゃえみたいな感じでした。

なぜかというと我々の世界はその師匠もそうやって弟子にしてもらったんです。もちろん人によるんですけど、伝統芸能だからこうやって繋いで行かないといけないんですね。自分もそうやって弟子にしてもらったんで無下には断らないわけです。

もし自分が師匠に断られていたら落語家として存在しないわけですから、一応話は聴くんですよね。米丸師匠も、うちの師匠歌丸も話を聴くんですよ。落語の世界はそうやって繋いでいくような世界ですね。

今もそんな師弟制度の流れはあるんですか?

今もありますね。正直、僕のところにも弟子入り志願の方が今まで二人ぐらい来ましたけど、落語家にどうしてなりたいのかと話は聞きました。さすがにいきなり追い返したりしないですからね。

僕の場合は「親を説得してから連れてきなさいと。本気であれば、全部大丈夫なら弟子にとるから」と師匠の歌丸から言われ、平成8年に上京して横浜橋通商店街に近い場所にアパートを借り、弟子入りして前座から始まりました。

昔は住み込みの弟子が当たり前だったんですけど、今は住宅事情もあります。簡単に言うと師匠にも家族がいるんで住み込みだと嫌なんですよね。師匠には子供だって孫だっていますから、何かわからないやつが突然来るのは気持ち悪いわけですよ。だから今は住み込みの内弟子は皆無と言っていいぐらいですね。ほとんど通い弟子が多いです。もしかすると中にはいるのかも知れないですけど。

もちろん廃業して辞める人もいます。途中でやっぱり向いている向いていないもありますし、単純に思っていた世界と違うとか、厳しい面もあります。華やかな世界だと思って入ると、意外と日常は地味、特に前座など修行時代は本当に地味なんで。

結局こんなはずじゃなかったとなる人もいるんですよ。はっきり言うと、この芸の世界は一生続くレースなんです。正直な話、中年ぐらいになって需要が無くなる人もいます。そりゃあもうプロの世界ですから厳しい世界なわけですよ。

ある意味プロ野球ぐらい厳しくもあるんですよ。いい若手が出てきたら自分の出番が取られる世界、でも基本は縦社会なので下の人は上の人を立てる業界ですが。

例えば20〜30代の若手の落語家でも60歳ぐらいの内容の噺をすることはあるんですか?

それはありますよ。それがいいかどうかは別にして、やっぱり落語が大好きな人は、20歳そこそこの年齢なのに高座に上がって「いっぱいのお運びでございましてねぇ。まあ世の中にはいろんなことがありましてねぇ」みたいな、お前いくつなんだ!みたいな(笑)。でも憧れで入ってくるから、そういうのが好きなんでしょうね。

良いかどうかは分かりません。でも、そのまんますごくなった人もいますから。若いときからジジイみたいな落語をやって、それに年齢が追いついて名人になった人もいます。

だからこれが正解ってものはないですね。落語って音楽と同じだと思うんですよ。結局好みなんですよね。サザンが好きな人もいれば、ミスチルが好きって人もいれば、AKBが好きな人もいるじゃないですか。だから、どっちが優劣ってことはないと思うんです。

やっぱりファン層はどんどん変わってくるものですか?

僕は20代のころは本当に尖ってました。当時は尖っているのが正義だと思っていて、ブラックユーモアって言うんですかね。シュールであったり、そういう笑いをずっとやってました。この笑いが分からないやつが悪いんだってずっと思っていたんです。

その時はそういうノリが好きなお客さんがいっぱい来るんですよね。ちょっとブラック的なものが好きだったり、シュールなものが好きだったり。でも今の歳になってくると、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで満遍なく笑ってくださるのが一番だと、だんだん変わってきましたね。