唐突ですが、SNSを始めたのはいつ頃ですか?

野口

Twitterは、2009年10月からやっていました。サラリーマン時代は仕事よりもTwitterしかやってなかったです。今から考えると本当に働いてなかったですね(笑)。

後藤

そのころ、私はまだmixiやってた気がする。

野口

当時のTwitterは、今と比べると地域性が強い印象で。岐阜の人をフォローしてたらいつの間にかコミュニティができていて、「会ったことないけど相互フォローしてる」みたいな人もいましたね。そんなとき、岐阜のクリエイターが集まって地域を盛り上げよう!っていうイベントをTwitterで知って、軽い気持ちで参加してみました。

後藤

それが「ギフレク」だよね。

野口

そう。街づくりに興味があったというわけではないんですが、なんか面白そうだなって思って(笑)。

そういう輪に入っていくと、岐阜にもいろんなクリエイターの人たちがいるんだということが分かったんです。当時の僕は「岐阜には工業デザインの仕事はない」なんて思い込んでいました。でも、岐阜でがんばっているデザイナーさんや、いろんなクリエイターさんと繋がったことで、インハウスではなく、フリーランスで、岐阜でも働けるのかもしれないと思ったんです。

そもそも、ギフレクで知り合ったメンバーが、とても気の合う人たちばかりで「こういう人たちと一緒に働きたい」という想いで、2012年に岐阜を拠点に独立することにしました。ただ、ギフレクは3年間続いたんですが、東日本大震災もあったりして、3回目で終わってしまいました。とてもいいイベントだったんですが、年1回だけのイベントなので、大きな花火としては打ち上がるんですけどその瞬間だけ盛り上がって、結局は一瞬の華やかさで終わってしまうんです。その後、ギフレクで一緒だった人たちから、岐阜市美殿町でシェアオフィス「まちでつくるビル」を計画しているという話を聞き、誘ってもらいました。工業デザイナーとして独立し、2013年4月にオープニングメンバーとして入居することにしました。

後藤

私は20代前半に印刷会社に勤めていて、岐阜のタウン情報誌「TJ-GIFU」の編集部で雑誌編集をしていました。24歳の時に休刊になってしまいましたが、その後も印刷会社で企画や編集をしていて、27歳のときに独立し、フリーライターになりました。一人暮らしをしているアパートを事務所がわりにして仕事をしていたところ、知人から「まちでつくるビル」の話を聞いて、楽しそうだなと思って一人で飛び込みました。そこで工業デザイナーの野口くんに初めて会ったんです。

ここを拠点に仕事をし始めてから、美殿町が街づくりに力を入れていることも知り、シェアオフィスの仲間たちと一緒に、そういうことにも関わるようになりました。

工業デザインってどんな仕事なのでしょう?

野口

工業デザインの守備範囲は立体物全般です。立体物の中でも「図面を引く必要のあるもの」と言えるかもしれません。例えば、職人さんと組んでプロダクトを作るときは、図面が要らない場合があるんですよ。絵を描いてコミュニケーションが取れれば、あとは職人さんが手を動かして作ってくれるので、そのまま製品になります。でも、量産が必要などで図面が必要になると、とてもテクニカルな内容になるので、できる人が減ってきます。僕はどちらかというとその「図面を引いてつくるもの」が守備範囲。依頼があったものに対して提案し、最終的に図面に起こして、量産できるものを作ります。

一点ものと、たくさん作るものとでは、そもそもつくり方が異なります。一点ものは、無理しても一個作れたらそれで良いんです。でも、大量生産するものを無理してつくると、量産する人がずっと無理して作り続けることになるんですよ。それは結果、作れなくなってしまう可能性が高いんです。だから、量産をするとき、量産が可能な仕様やコストがちゃんと合う仕様に整える必要が出てきます。そのために、外観の審美性と生産性のバランスをとる、そこに、工業デザイナーの存在価値があると思っています。

なぜ二人で仕事を始めるようになったんですか?

後藤

入居当初は、野口くんは工業デザイナー、私はライター・編集者として、それぞれ個人事業主同士で違う仕事をしていました。工業デザイナーとライターって、接点はあまりないので、一緒に仕事をする機会が多かったわけではないんですが、あるとき彼がデザインしたiPhoneケースのWebサイトを作りたいから、手伝って欲しいと声を掛けてもらって、そこで初めて一緒に仕事をしたのがきっかけです。

付き合いはじめたのもその頃だったと思います。2013年12月に野口くん一人で法人化して、プロダクトデザイン会社「株式会社COMULA」を設立し、2015年の結婚を機に、私がCOMULAに合流しました。当初は2人体制になったものの、経理を一本化することが大きな目的で、仕事内容はそれまで同様、あまり被らなかったんです。私は完全にフリーライターの動きをしてましたしね。

その後、野口くんがデザインしたプロダクトのプロジェクトに、ライター兼広報として関わらせてもらう機会があり、その時に東京で広報の仕事をさせていただきました。それで「広報っておもしろい!」と感じて、もっと勉強したいと思うようになったんです。その時に望月さん(十中八九編集長)にお会いしたんですよね。そのチームには、広報のスペシャリストがたくさんいて、とても刺激的で、何より楽しかったんです。

「広報のお手伝いがもっとしたい」と思ったとき、工業デザインと広報のマッチングの良さに気づきました。野口くんがデザインした商品を、私が広めていくことができれば、二人で一緒になにか新しいことができるかもしれないな、と。

野口

うちの場合は、物理的に二人の会社にしたのが先だったので、日々の仕事をするなかで「二人で一緒に仕事をする利点をどこに落とし込むのか」「株式会社COMULAをどうブランディングしていくのか」をあとから見つけていった感じです。プロダクトデザイン事務所は東海地区に少ないですが、もちろん競合もいますし、その中で言うと僕らは後発のデザイン事務所になるので、武器として「商品をデザインするだけじゃなく、きちんと売る」ところまでできると強いと思ったんです。

僕も、彼女が広報の仕事を深めていく中で、広報の大切さを知りました。岐阜では、プロジェクトを立てて商品開発をするシーンがたくさんあるんですよ。この辺りは、ものづくりが盛んな地域で、優秀な町工場も多いです。たとえば、下請け中心の工場が「自社開発の商品をつくりたい」と動き出したり、岐阜県自体がものづくりへの助成を手厚くしたいたり。県が予算を付けて、著名デザイナーとのマッチング事業を斡旋していた時代もありました。

でも、悲しいことに、有名デザイナーが手がけた商品でも、今売られているものは一部です。

それを紐解いていったとき、「結果的にきちんと売れるところまで持って行けていないのではないか?」と思ったんです。ものをデザインして、実際に商品化することはできるんですよ。いいものをつくる技術はあるので、質の善し悪しはさておき、完成はするんです。でも「売れる」ところまでの接続が出来てないんです。「どう作るか」ばかりになっていて、「どう売るか」「どう見せていくか」というところが弱いんですよね。まさに広報です。そこは僕自身の守備範囲ではないんですが、彼女から「もっと広報の仕事がしたい」と言われたときに、そこがCOMULAとしての武器になるな、と思ったんです。

岐阜という地域でやっていくにあたって、ものをつくるだけでなく、売るところまでクライアントと一緒にやっていけるのは、とてもおもしろいと感じていますし、将来の自分たちの仕事をつくることでもあると思っています。例えば、ある企業からデザインの仕事をもらって商品を開発し、それを世に出したけど売れませんでした、となると、その企業はきっと、もう商品開発をしなくなると思うんですよね。それをこの地域で僕が10年ぐらい続けてしまうと、恐らくその先、パタッと仕事が無くなると思うんです(苦笑)。

「売れないならつくっても仕方ない」と、誰もつくらなくなってしまっては悲しいんです。もちろん、ここから生まれていったプロダクトが売れてほしいというのもありますが、その後のことも考えると「売れる仕組み」もデザインしていく必要があると思ったんです。

後藤

「売れる仕組み」も、クライアントと一緒につくっていくことができれば、この地域はもっと元気になると思うんです。中小企業や町工場なんかによくあるのは、「良いものを作れば売れるはずだ」という思い込み。そういうところは、「自社製品作るぞ!」と意気込んでつくっても、広報どころか営業マンもいない場合があります。でも、その商品を知ってもらわなければ、取り扱ってもらうことも、買ってもらうこともできません。

まずは広報の重要性にも気づいてもらえるよう、そこからアプローチをする必要があると思っています。COMULAが広報を請け負うのではなく、担当者さんと協力しながら、広報の仕組みを植え付けたいとも思っています。COMULAのホームページに「メーカーを作るデザイン事務所」と書いてあるのは、そういう想いからです。

野口

商品をゼロから立ち上げるのは、個人とはいえ「メーカー」です。商品をデザインするところから、量産の軌道に乗せるところ、売り始めるところ、できれば商品がきちんと売れるところまで、二人でガイドをしながら一緒に進んでいけたらいいね、と。それこそが僕たちらしさだと思いました。

後藤

私は今ももちろんライター業もしていますし、まだまだその割合が多いですが、最近は少しずつ広報の仕事も増えてきて、今後は二人で一緒にやる仕事をどんどん増やしていけたらいいなと思っています。

あとは、プロジェクトにライターとしても関わっていけるのも楽しいですね。商品開発の初期からプロジェクトに入っていると、この商品がどういう想いから作られているのか、どのような紆余曲折の先にできあがったのかを全部知っているので、とても書きやすいんです。数回取材しただけでは引き出せないことも、きちんと文章にできていると思っています。