水のような編集と情報の流通

玉置

僕は58年の人生のなかでやりたいことはずっと一貫していて、情報の流通に興味があるんですね。それは大学では哲学科でアメリカ科学哲学を専攻していて、プラグマティズムや記号論もやり、情報がどう流通していくかにすごく興味があったんです。だから僕はそこに善や悪とか良し悪しはあんまり斟酌しないんです。

ただただ情報がどう流れていくかに興味があって、それがあって新聞記者も編集者もやってきたんです。だから新聞記者をやっていた当時、善悪とか良し悪しを示す記事の在り方にはすごく違和感があった。例えば社会部はほぼ不祥事にしか行かないんですよ。めでたいことには行かないんで(笑)。当然、なにがしかの問題を問う形になるわけですが、極力、事実関係だけを伝えたかったわけです。

例えば記者会見、今もいっぱいありますけど、だいたい誰かが吊るし上げられて謝罪するところに行くわけです。そうすると新聞社によっては質問と併せて対象者自体を批判する人がいるんです。記者会見の話って正直全社が聞いているじゃないですか。新聞記者はスクープを取ってなんぼな職業だから、正直言って同じ話を横一線で聞き、同じ話しか書けないので興味がないわけですよ。そんな話は最低限の事実関係だけ聞ければいいので、そこで謝っている人を糾弾したり、断罪することは全く意味がないと思ってました。すごくそれが好きな人がこの世界にはいて、そんな人が記事を書いていいのかとずっと思っていましたね。記者と言うのは、情報を扱う仕事なのか、告発者なのか、場合によっては活動家なのか。

平林

外から見ていても思うときがありますね。

玉置

仕事を離れて、自分の主義主張を実現するのはもちろん自由だけど、目の前の仕事の中にそういう事を入れ込むのは無意味だし、僕らは伝えることに意味があるので、それを判断することは読者が決めればいい話だともともと思ってました。実際に記者になったことで、より強く思うようになった。

僕はストーリー的に嵌め込むような記事の書き方が嫌いで。要は自分の中の主張したい結論に合わせて、いろんなパーツを組み合わせて主張する人がいるじゃないですか。これはもうはっきり言って捏造だと思っています。

僕は、記号論理学や論理学をやってきた人間だから、例えば、文章、センテンスを数式にしたりしていた訳で、伝える中で、狙いがあっての編集、恣意性があるものは許せないんですよ。記事は情報として完全にニュートラルな形で読者に渡さないといけないものだから。でも自分のようなスタンスで書くのはやっぱり業界の中ではちょっとおかしかったみたいで、当時のデスクは、「玉置の書いているものは見たことがない書き方で、普通はおかしいはずなんだが、俺的にはこれでもいいかなと思って通してる」と言われたことがありました。

だから業界にはもっと勧善懲悪でお涙頂戴の記事が多かった。そこを一歩引いて書くってことが、業界の中では異常だったんですね。実はウォーカーを25年やってきて、そのスタンスでウォーカーの方向性自体を結局かなり僕が作っちゃったところがある。最後はウォーカーの総編集長もやっていたから、ウォーカーに関わってきた人はいろんな考え方があったと思うし、もともとウォーカーと僕のスタンスに近い考え方があったのかも知れない。

情報としてはお金をもらってオベンチャラは書かないし、でもこの店は0点ですとは書かない。情報として新しくオープンした店の情報をいじらず誇張もなく伝え、あとは行くなら行ったらいいし、好きに活用してくださいっていう姿勢でいる。

僕が当時、「水のような編集」をしたいと言っていました。水というのは飲んだときにコーラやお酒みたいに飲んだ感じはない。でも水がないと死ぬじゃないですか。そういう編集をやりたい思いがあった。僕のなかではそれがずっと一貫したテーマなんですよね。水は水。変えないという事です。

この十中八九も出来るだけ素材のまま出したいって感じが強いんで、なるべく取材したときのものをそのまま出したい。もちろん多少順番や言い回しも直すことはあるんですけど、意外とこれまでの取材のなかで、編集者でも朱入れのやり方にいろいろあるので、僕としては学びがあって面白い仕事をしている気がします。

玉置

僕は基本的には朱入れはしないほうですけどね。でも、ほとんど再構築する人がたまにいますよね。ただそれは今度逆にいじっているというより、自分の作品にしてしまう人がいて、それはそれで面白いと思うときもあるけどね。これは本質的な部分では園芸と一緒で剪定するのはあってもいいと思いますね。いま一言一句そのまま完全収録の媒体も多い。記者会見の類は仕方ないけど、インタビューだったらそこまでこだわらなくてもいいと思うけどね。

読みづらいのは駄目だと思うんで。

玉置

それは読みやすくする編集が必要だと思うんですよ。僕はNo編集がいいと言っているわけではないから余計難しいんですよ。基本的にはオチがある話があまり好きじゃない。オチを作ってそこに向けて話を構築されるのが好きじゃない。そこはすごくナチュラルに作りたいんだけど、かといって、それをそのまま出せば良い訳じゃないんですよ。

そこにある情報は的確に明確に分かりやすく伝える必要があって、でもそれは普通ストーリーを作って分かりやすくする手法が多いわけ。だから、その手法を拒否することは一気に記事作りが難しくなるわけです。

平林

流通って意味では、流通の経路のなかで最終的に受け取る側の人がいるわけですよね。この受取る人たちが受け取る力を持っていないんじゃないかと思うことがあって。回ってきた情報を50人いたら、きちんと受け取ってくれる人もいれば、どうなったらそんな受け取り方になるんだろう??って人もいて。

玉置

絶対いますよ。それはある意味受け取る側の自由もありますからね。

平林

その生に近い、水のような情報を流したとして、いろんな受け取り方はアリなんだけど。

玉置

それで言うと、さっきの話と近いところで、記事の中身を誤解させないようにする努力は必要だと思う。だから誤解を誘発するようなものを編集せずに放置するのは、編集としては無作為の作為になってしまう。だからまるっきり変えてしまうのはあれだけど、誤解が生じないようにすることは、絶対必要だと思いますね。

しかし、それを忘れている人、特にWEB系だとそのままで出すようなことが多いから、ついついその生感に頼って、敢えていじらないで出すことにより、本来言ってなかったことまで伝えてしまうことはあるかも知れないね。

紙だと文字数に制限があるから紙面に押し込めるときに、問題がありそうなところは、さっきの園芸でいうと剪定されていくわけですよ。

だから気になるものは直しているんですけど、最終的には本人に掲載前に原稿チェックしてもらうことは徹底するようにはしてます。

玉置

新聞社は基本的に、取材した人に戻しての校正は0(ゼロ)なんです、当時は。今もある程度はそうかな。勝手に書きますよってことで、取材対象者からの校正は外部からの検閲みたいな感じになるんです。とはいえ、逆に取材を受ける側になって、最近は見せてくれる記者もいます。余り、トピカルな記事じゃないということはあるだろうけど。

今の玉置さんの話で、本当に自分でストーリーを作っちゃう記者さんがいたことがあるので、そういうケースにリアルに出くわすと本当にびっくりしたことはありましたけどね。。

平林

僕も取材を受けたことが何度かあって、本当に何のチェックもなく記事が出たと思ったら、話した内容と違っていて、、向こうにとって都合のいいところだけピックアップされてるんです。

玉置

僕は正直それが無茶苦茶腹が立つんですよ。そういう記事を書くのは、言い方悪いけどちょっとした犯罪だと思っていて。

平林

その掲載された記事を見て思ったのは、記者が最初からそっちに話を持っていきたくて、頭のなかでストーリーのゴールだけは決まっていただろうなってことで。

玉置

だからそうなってくると、いま特に記者会見をやったものに関しては誰かが全文ピックアップするじゃないですか。全文を見るとそこで意味がわかるってことがよくありますよね。昔はなかったことだもんね。だから本当は1時間ぐらい喋っていることを150字ぐらいにまとめたときに、載っていないところが9割ぐらいある。そこにちゃんと答えがあったりすることを、全部端折って結論ありきの記事になることがあるよね。

平林

2011年の東北での震災から、ずっと向こうで写真を撮っていて、その写真展も世界あちこちでやらせてもらったんですね。その関係でいろいろな取材を受けてきたんですが、メディア側は最初から、東北の現場の状況を過酷だったと言いたいみたいです。

玉置

そうだよね。

平林

僕が被災地へ行ってみて意外だったのは、過酷な面もあるんだけど、向こうの人たちがわりと笑顔で盛り上がっていたということなんです。それは大変だから頑張らなきゃっていうことの裏返しなんだけど、直後の2011年の4〜5月の段階で、笑顔も多く見られたんです。

玉置

下手をしたらね、メディアのカメラの人が被災地で写真を撮るとき、ニコニコしていた人にもうちょっと厳しい顔をしてとかって言いかねない。

平林

実際にメディア側の人はそれを言ってました。僕は普通に個人としてただの瓦礫撤去のボランティアとして入ったんで、被災地への入り方は違うんだけど、向こうの人たちがみんな言ってたのが、たくさんテレビとか新聞とか来てくれたけど、事実を捻じ曲げちゃって全然伝えてくれていない。人が泣いているところだけ撮ろうとしたり。

そういうメディア側のスタンスは、何か新人の研修みたいなところで教わるようなことなんですかね?

平林

そっちのほうがドラマチックになるからじゃない。

玉置

今どれぐらい研修をやっているのか分からないけれど、結局研修技術みたいなものを習っているんだとしたら、要するにストーリー性がないと読みにくいってことは絶対言われているはずなんですよ。ただ、ストーリー性が悪でも本当はないんです。

当然ストーリー性があったほうが読みやすいんですよ。ただそのストーリー性が恣意的であってはいけないわけです。自分が一生懸命考えて、自分が見たものを正確に伝えるためのストーリーを考えることはむしろ絶対に必要なんですよ。それをそのままNo編集で出してしまうと、読む方は全く読めない。それはそうなんですよ。だけどこれまでの多くのメディアの歴史を振り返ってみると、戦前の戦争を煽っていた新聞と一緒で、何かに対しての怒りだとか告発だとか批判をするほうがウケがいい。だからそういうストーリーを作りたくなっちゃうんですよね。それを踏みとどまることは極めて大事なこと。でもそれを踏みとどまれるような教育はどこまでされているかは、ちょっと分からないですね。

平林

僕は仕事でソウルにいることがよくあるんですけど、日韓関係はいつでも上がったり下がったりで揉めたりしているじゃないですか。そのなかで日本のあるテレビ局が、とある食堂に来て、いま日韓関係が厳しいから日本食の食堂のお客さんが激減してますっていう内容の取材をしたかったんですって。

でも、実際に取材に来たときは、すごく混んでたんですよ(笑)。お客さんが激減した絵を撮りたくて来たら、すごく和気あいあいしてて、しかも日本人と韓国人がふつうに飲んでいたんだって。そうしたら、都合の悪いところは全部カットされ、そのときはやっぱり、大変な影響を受けてますって感じに落ち着いたそうです。

玉置

それはもう本当に分かりやすいアウトだと思いますね。だから韓国に関していろいろ語れる専門家もいるけど、本当にそこをニュートラルにやっている人は、僕もいろいろずっと見ている限りだと少ないんで、それはそれで不幸なことだと思うんですよね。

平林

妙に感情論ばっかり出てきますよね。